秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悪い癖…

以前も紹介した。高校生の頃、憧れの雑誌があった。
 
NOWというその雑誌名からも昭和を感じるだろうが、そのデザインは当時の男性雑誌の中で群を抜いていた。広告業界の精鋭がこぞってデザインに参加し、かつ当代の著名作家、人気作家が執筆していた。
 
その雑誌を読むと、いつも舞台は表参道だったり、青山通りだったり、乃木坂だったりしたのだ。もちろん、華やかさはあっても、いまの表参や青山とはちょっと違う。昭和の最先端だ。そこには、VANもあれば、KENTもあった。ブルックスが来たときは、ついに日本上陸!とアイビーボーイ、ガールたちは大騒ぎした。
 
いつか青山を生活の拠点にしたい…オレはずっとそう思っていたのかもしれない。
 
しかし、現実には、所沢近くの秋津というところで東京生活をスタートしたし、その後、仲間や彼女がいるからと、阿佐ヶ谷に10年以上住んでいた。そのあと、一瞬、下井草にいき、そのあと、多くを相模大野で過ごした。
 
いろいろあって、乃木坂で仕事や生活をするようになって足かけ16年ほどになるだろうか…住まいをこちらにしてからは、たぶん14年くらいだと思う。
 
途中、湘南にいこうとか、相模大野へ引っ込もうとか、いろいろ考えるときもあった。年に一度、もしくは2年に一度くらいそんなことを考える。その繰り返しで、14年。長いといえば、長いが、短いというか、あっという間だ。
 
人の人生は本当に露ほどのものだと数年前から感じるようになっている。オレは異常に記憶がいいため、幼い頃のことから若い頃のことまで、実によく覚えている。そのせいもあるだろう。ずいぶん昔のことがすぐ最近のことにように感じてしまう癖がある。

14年は長くはない。特に何事かをこの世に遺そうと思っている人間にはそうではないだろか。オレの仲間はそろそろ退職時期やまとめの時代に入っている。昔からだが、オレはそういうこととはまったく縁がなく、いつも現役であろうとしてきた。
 
しかし、やはり、思うように作品は残せていない。時は光陰のごとく過ぎれど、何かの執着や思いにいつも脇道にそれ、真摯に作品づくりに没頭はできていない。
 
昨日ある女性から、オレの欠点を強く指摘された。人の話を聞かないところだw
 
そう。人の忠告や諌言、アドバイスを受け入れる心が弱い。それは、幼い頃からおふくろに指摘されてきたことだ。以前、付き合ってる女性たちにも似たようなことをいわれた記憶がある。
 
しかし、その女性には語ったような気がする。「それは、オレが仲間にひどく裏切られた幼少の記憶があって、それがトラウマになっているからだと思う…」。
 
また、ある女性プロデューサーには、あなたは心を開いているようで、開かないともいわれた覚えがある。
 
真摯に作品づくりに没頭できず、脇道にそれて、それをよしとして、奈落にはまる悪い癖は、オレの中に、そんなところがあるせいだろう。
 
そういえば、爪って歌があったな…