秀嶋カフェの身勝手な会話
根を詰めて、ふと休むと、翌日にふわっとした疲れ、脱力感に襲われる。
また、昨日は一日雨。湿気によわいオレは、だらっとしてしまい、残りの仕事がなかなか進まない。なんとか、来年度版の東映のカタログに載せる作品紹介の資料をつくると、そこで、仕事は終わりとする。
数日前から約束していて、夜、仲間が来訪。なんとかゆっくり酒が飲める状態まではこぎつけた。
カツオの刺身、カレイの煮つけ、それに前日皮膚科医のK先生がみあげにくれた、おかき(いま札幌で行列ができるほど人気になっている)で、つなぎ、しばし飲む。
あれこれ語っていると、ふと誰かが小説とか書きたいという話になり、物書きについての話題で盛り上がる。
小説家になるのには、資格もなければ、何もいらない。ただ、表現者であるということは、そこにその人間が伝いたいという思いがなくてはならないと語る。
それがなければ、書き続けるということはできないし、また、長編作品を残すこともできないだろう。
うまさや技術はいくらでもあとからついてくる。大事なのは、人を引き付けるその思いがあるかどうかだ。などと語り合いながら、酒が進む。
いま、平易で簡潔な文章と展開が好まれる。しかし、言葉を扱う以上、本来、作家は文体にもこだわりがなくてはいけない。英語にするのが難しいことが、日本語を生きていることにもなる。オレの好きな平野啓一郎は、そうした作家のひとり。
またまた、エスプリのきいた会話になる。
この間、広島焼きを食べながら、ハマと日本帝国海軍の話で盛り上がったが、そのときも女性は置いてきぼり。
どの話題もおもしろい話題なのだが。女性にすれば、それは男たちの身勝手な会話らしい。