秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

年の瀬のぬくもり

年の瀬の感じがしない…。そういう知り合い、仲間が多い。

アルバイトで生計を立てている、若い俳優連中は、普段、オーディションや出演で不規則にしか働けないから、年末年始は生活費を稼ぐため、また、今後、仕事のシフトで無理を聞いてもらうため、この時期、休みなしで、年越しで仕事をする連中も多い。

スタッフ連中で仕事のある奴は、予算がらみから、年度末までに作品を完成させなければという制作会社の意向や海外映画祭への出品の締め切りまでにと、正月をまたいで現場仕事に奔走している者もいる。

本来、オレたち映像関係や舞台関係は、水商売、客商売だ。この時期、仕事をするのは不思議でもなんでもないが、いままでと違うのは、生き抜くために、仕事をしているということ。心持ちが、この数年で変ってきている。

同じ客商売の、販売や小売業の人々は、庶民の財布が普段よりは緩む、この時期は、もともと稼ぎ時だったが、リーマンショック以後、極度に売上げが落ち、デフレ状態で利ザヤも少なくなっているから、なおのこと、ここしかないと、必死で奔走している。

その労働を支えているのは、パートやアルバイトの連中で、主婦や非規制雇用などの若い世代だ。そのため、実家に帰らない、帰省しない、家族で正月を過ごせるのは、1日だけ、という家庭は多い。

この時期、高速の渋滞情報や海外渡航のニュースが、報道の定番、歳時記映像として流れるが、そうできる人間は、まだ、ゆとりのある人々なのだ。あるいは、ゆとりはないにもかかわらず、家族や親族への気遣いから無理して、ありがちな年末年始を過ごすという人もいる。

この国の人々が、心置きなく休日を過ごす、年末年始を過ごすということができていたのは、いつまでのことだったろう。ずいぶん前から、そうした時間を過ごすことができない国になってしまったような気がする。

昨日は、前日、ニートのご主人を持つ方の悩み相談に乗り、久々に深酒をしたせいか、朝4時には目が覚める。テレビを付けると、放送倫理をテーマに、往年のテレビドラマ演出家の今野勉氏とお笑い番組プロデューサーで、タモリ、たけし、さんまを育てた、横澤彪氏が昨今のテレビのあり方に苦言を呈していた。

普段、このブログで最近のテレビのテイタラクを述べているが、まさに、その視点。オレたちの若い頃とは、テレビの役割が変っているから、新しいテレビのあり方があってもいいが、テレビのオリジナリティやアイデンティティが失われているいまを深く嘆いている。

日曜日には、必ず見る、「関口宏サンデーモーニング」は、良識ある報道情報番組として、オレは高く評価しているのだが、彼らもオレと同じ意見。司会者が持論を押し付けるようなことをせず、多様な識者の意見を取り上げ、視聴者に判断を委ねる、昨今、珍しくなった良心的な番組姿勢をほめている。

その中で、いまという時代が、アメリカ主義からの脱却と日本独自の外交、政治経済のあり方への大転換期なのだという意見が多数を占めていた。

オレは、思う。これまであった豊かさの基軸や意味を問い直さない限り、これからの社会も、国も、世界もない。第二次世界大戦後の世界のあり方全体が問われているいま、これまでの経験や方程式では、人々が幸せを感じる社会、国、世界は登場しないと思う。

だが、それは、大仰に、政治経済論や国際関係論を語ることだけで実現することでない。意識変革が必要だが、意識変革は、人間の生活や感情と結びついているものであるがゆえに、早々に、理屈や理論で変革できるものではないのだ。

できるのは、本当に身近な家庭や親子関係、夫婦関係といったところから、検証し、見直し、立て直すことをしなければ、国、世界の意識も変っていかない、と思っている。

年末年始や休日を、心置きなく、家族と過ごせる。愛すべき人たちと過ごせる。そういう生活の質と内容を見直し、どうあることが自分たち一人ひとりにとって、本当の意味で、安心で、心地よい生活なのかを考えるときにきている。

どんな豊かさも、家族が肩を寄せ合い、愛する者が互いをいとおしいと感じ、そこで感じる自分たちの肌に感じたぬくもり以上のものはない。

それがあれば、そのぬくもりを頼りに、生活で困窮しているだれかのために、そのぬくもりを得られない、見知らぬだれかのために、思いをはせることも、自分にできるなにかをしようという行動にも、つながっていく。

ぬくもりを感じない、無理をする年末年始でなく、ぬくもりのある、心のゆとりの年末年始を。