ひもの屋
昨日は、相模原に4ヶ月ぶりに帰る。一足早い、クリスマス。
毎年慣例になっているが、正月、クリスマス、誕生日だけは、相模原で息子に会うようにしている。大学生になるまでは、秋葉原にいくついでに、こっちによったりしていたのだが、C大が多摩にあることもあり、大学に入学していからは、すっかり、こっち方面には顔を出さなくなった。
ちょい高めの、奴の好きなチョコレートケーキを伊勢丹で買い、家を訪ねて、息子には、クリスマスの小遣い、かみさんには年末にあれこれかかるからと、まとまった金を渡す。
これも恒例で、家族そろって、メシ。贅沢をしていいぞというが、息子もかみさんも、結局、すし屋にいったのに、サービスランチでいいという。それでも、それなりの値段なのだが、お好みじゃなくていいという。オヤジの仕事の大変さをわかっているから、いつも贅沢はいわない。感謝…。
ところが、多店舗ビルの食堂街にあるこのすし屋が、いけなかった。クリスマス前倒しで買い物にきている客がどっと、値ごろなランチすしに群がって、混んでいたのはわかる。が、しかし、三人別々の料理を頼んだので、かみさんのメシがなかなか出てこない。
オレたちがもう食い終わりそうになるころに、やっと出てくる。ぶり大根でビールを軽くのんで…、と、ぶり大根を頼んでいるのに、ビールもなくなり、メシを食い終わる頃に、2度も催促して、やっと出てくる。
オレは飲食店の対応の悪さには、絶対ブチ切れる。店の事情だが、段取りの悪さだか、従業員間のコミュニケーションの悪さだか、なんだか知らんが、お金をいただくお客さまに、不愉快な思いをする店は、ボコボコにする。
メシや酒は、人々が、癒しや憩い、つかの間の贅沢をするために、やってくるのだ。
まして、クリスマス時期などは、カップルや家族が、本当にたまの贅沢で、買い物をし、普段は食べない食事をきばって食べにくる。そうした、庶民の生活の中の、ささやかだが、大事な時間を、てめぇの未熟さや勝手な事情でおろそかにする奴らは、人ではない。サービス業をやる資格はない。
飲食に限らず、どんな仕事でも、仕事に本気でない奴を見ると腹が立つのだ。
大勢の客がいたから、店の立場もあるだろう。従業員が多いから、それぞれの立場もあるだろうと、直接、怒鳴りはしなかったが、「酒のつまみが最後に出て来る店なんて、最低だろ」と、誰に言うともなしに、が、しかし、目の前の店長らしき奴に聞こえるようにいう。
早くこんな店を出たいが、かみさんが食うのが遅い。仕方なく、小声で早く食えというと、オレがキレかけてるのがわかったらしく、ちゃっちゃと息子に食わせる。で、大声で、上がりください!
出るときには、ください、をやめ、「勘定!」。その大声で、店中の店員にはオレがぶちキレていることが十分伝わったらしい。レジのおばさんに、店長を呼べといいかけたが、明らかに顔がびびっているので、やめた。
あとで、レシートを見ると、ビール代がついていなかった。これもいけない。まずは、きちんと非礼のお詫びをする。その上で、「心ばかりですが、ビール代はサービスさせていただきました」と、来なくてはいけない。そうすれば、店と客との失った信頼が回復できる。それもなく、ただ、無言でビール代をサービスだ。それでは、サービスが生きない。
郊外の店舗で、経営の眼が行き届いていないこともあるのだろう。客筋が、常連ではなく、飛び込みの客が多いということもあるかもしれない。つまりは、客を客と思わず、なめているということ。自分たちの仕事のレベルをシステムとして、よりよりものにしようという知恵がないこと。とどのつまり、客への感謝が足りないのだ。
ま、息子に会えたし、いろいろ話もできたし、魚を大事にきれいに食べたし…、と、息子の成長に免じて許してやった。
事務所にもどって、一服して、夜、三越劇場で芝居を観にきているという内田とディーゼルで落ち合う。メシをすることになったが、銀座も、クリスマス前倒しで、どこも混んでいる。結局、いきつけの西麻布の焼鳥屋にタクシーを飛ばす。
ラーメンが食いたいというので、五行へ歩いていると、6年ほど前から、古い喫茶店を改装して開店していた、「ひもの屋」の若い兄ちゃんが客引きをしている。チビタのような奴で、だぶん客がいなくて困っているのだろうと、入る。
前々から、このひもの屋、実は気になっていた。だが、立ち飲みの店で、超狭いし、あまりきれいな店でもなく、かつ、伊豆あたりから直送しているらしい、本格ひものは、本格だから、そうそう安くはない。あえて、高価なひものを食べるほどでも…、と、入ったことがなかった。
ところがところが、これがいい。兄ちゃんたちが、おもしろ、いい奴。客も一人客が多いのだろうが、一人いた客も、次に来た常連らしき客も、いい。そのうち、内田はほったらかしで、わいわい、店や客の兄ちゃんたちと盛り上がり、内田が帰ったあとも、だらだら飲む。
これだ。特段、凄いサービスをしているわけでもない。だが、それなりに客にも気をつかい、楽しい場にしようと心がけている。「酒は楽しく飲めないと」。今月で別の店にスカウトされていなくなるという店長の言葉。飲食はそれにつきるのだ。
当たり前のことを、心をこめて、きちんとやる。大仰な挨拶も、慇懃(いんぎん)な態度も、ときには必要だろうが、何よりも客を大事にしようという思いと言動が大事だ。
帰り際、焼き場の窓をあけて、何度も握手をしたがる、店長も、もういなくなる店なのに、また来て欲しいという熱意に溢れていた。
どんなに相手のことを大事に思っていても、愛していても、それを言葉や態度で示さなければ、決して、伝わりはしない。
毎年慣例になっているが、正月、クリスマス、誕生日だけは、相模原で息子に会うようにしている。大学生になるまでは、秋葉原にいくついでに、こっちによったりしていたのだが、C大が多摩にあることもあり、大学に入学していからは、すっかり、こっち方面には顔を出さなくなった。
ちょい高めの、奴の好きなチョコレートケーキを伊勢丹で買い、家を訪ねて、息子には、クリスマスの小遣い、かみさんには年末にあれこれかかるからと、まとまった金を渡す。
これも恒例で、家族そろって、メシ。贅沢をしていいぞというが、息子もかみさんも、結局、すし屋にいったのに、サービスランチでいいという。それでも、それなりの値段なのだが、お好みじゃなくていいという。オヤジの仕事の大変さをわかっているから、いつも贅沢はいわない。感謝…。
ところが、多店舗ビルの食堂街にあるこのすし屋が、いけなかった。クリスマス前倒しで買い物にきている客がどっと、値ごろなランチすしに群がって、混んでいたのはわかる。が、しかし、三人別々の料理を頼んだので、かみさんのメシがなかなか出てこない。
オレたちがもう食い終わりそうになるころに、やっと出てくる。ぶり大根でビールを軽くのんで…、と、ぶり大根を頼んでいるのに、ビールもなくなり、メシを食い終わる頃に、2度も催促して、やっと出てくる。
オレは飲食店の対応の悪さには、絶対ブチ切れる。店の事情だが、段取りの悪さだか、従業員間のコミュニケーションの悪さだか、なんだか知らんが、お金をいただくお客さまに、不愉快な思いをする店は、ボコボコにする。
メシや酒は、人々が、癒しや憩い、つかの間の贅沢をするために、やってくるのだ。
まして、クリスマス時期などは、カップルや家族が、本当にたまの贅沢で、買い物をし、普段は食べない食事をきばって食べにくる。そうした、庶民の生活の中の、ささやかだが、大事な時間を、てめぇの未熟さや勝手な事情でおろそかにする奴らは、人ではない。サービス業をやる資格はない。
飲食に限らず、どんな仕事でも、仕事に本気でない奴を見ると腹が立つのだ。
大勢の客がいたから、店の立場もあるだろう。従業員が多いから、それぞれの立場もあるだろうと、直接、怒鳴りはしなかったが、「酒のつまみが最後に出て来る店なんて、最低だろ」と、誰に言うともなしに、が、しかし、目の前の店長らしき奴に聞こえるようにいう。
早くこんな店を出たいが、かみさんが食うのが遅い。仕方なく、小声で早く食えというと、オレがキレかけてるのがわかったらしく、ちゃっちゃと息子に食わせる。で、大声で、上がりください!
出るときには、ください、をやめ、「勘定!」。その大声で、店中の店員にはオレがぶちキレていることが十分伝わったらしい。レジのおばさんに、店長を呼べといいかけたが、明らかに顔がびびっているので、やめた。
あとで、レシートを見ると、ビール代がついていなかった。これもいけない。まずは、きちんと非礼のお詫びをする。その上で、「心ばかりですが、ビール代はサービスさせていただきました」と、来なくてはいけない。そうすれば、店と客との失った信頼が回復できる。それもなく、ただ、無言でビール代をサービスだ。それでは、サービスが生きない。
郊外の店舗で、経営の眼が行き届いていないこともあるのだろう。客筋が、常連ではなく、飛び込みの客が多いということもあるかもしれない。つまりは、客を客と思わず、なめているということ。自分たちの仕事のレベルをシステムとして、よりよりものにしようという知恵がないこと。とどのつまり、客への感謝が足りないのだ。
ま、息子に会えたし、いろいろ話もできたし、魚を大事にきれいに食べたし…、と、息子の成長に免じて許してやった。
事務所にもどって、一服して、夜、三越劇場で芝居を観にきているという内田とディーゼルで落ち合う。メシをすることになったが、銀座も、クリスマス前倒しで、どこも混んでいる。結局、いきつけの西麻布の焼鳥屋にタクシーを飛ばす。
ラーメンが食いたいというので、五行へ歩いていると、6年ほど前から、古い喫茶店を改装して開店していた、「ひもの屋」の若い兄ちゃんが客引きをしている。チビタのような奴で、だぶん客がいなくて困っているのだろうと、入る。
前々から、このひもの屋、実は気になっていた。だが、立ち飲みの店で、超狭いし、あまりきれいな店でもなく、かつ、伊豆あたりから直送しているらしい、本格ひものは、本格だから、そうそう安くはない。あえて、高価なひものを食べるほどでも…、と、入ったことがなかった。
ところがところが、これがいい。兄ちゃんたちが、おもしろ、いい奴。客も一人客が多いのだろうが、一人いた客も、次に来た常連らしき客も、いい。そのうち、内田はほったらかしで、わいわい、店や客の兄ちゃんたちと盛り上がり、内田が帰ったあとも、だらだら飲む。
これだ。特段、凄いサービスをしているわけでもない。だが、それなりに客にも気をつかい、楽しい場にしようと心がけている。「酒は楽しく飲めないと」。今月で別の店にスカウトされていなくなるという店長の言葉。飲食はそれにつきるのだ。
当たり前のことを、心をこめて、きちんとやる。大仰な挨拶も、慇懃(いんぎん)な態度も、ときには必要だろうが、何よりも客を大事にしようという思いと言動が大事だ。
帰り際、焼き場の窓をあけて、何度も握手をしたがる、店長も、もういなくなる店なのに、また来て欲しいという熱意に溢れていた。
どんなに相手のことを大事に思っていても、愛していても、それを言葉や態度で示さなければ、決して、伝わりはしない。