秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ハラキリ

預けていた書類の受け取りと手数料の支払いで、司法書士の先生のところへ出向く。

渋谷の東急ハンズの裏手の集合事務所ビル。最近、読んでいるメンズ雑誌、講談社の「HUGE」(ヒュージ)に詳細された、古着ブランドの店が近くにあったことを思い出し、司法書士事務所を出ると、立ち寄る。

東急ハンズの裏手界隈は、こうした個性の強いショップが多い。代官山ほどではないが、ここにしかないというアイテムをそろえた店もいくつかある。

実は、中古ブランドの超かっこいいダッフルコートが紹介されていて、気になっていたのだ。だが、案の定、すでにその姿はない。雑誌に紹介されて、あっという間に売れてしまったのだろう。

店員に問い合わせようかとも思ったが、並んでいる商品のくたびれ方が、いい感じに使い込んだというより、くたびれた感ありありで、やめた。中古買取と販売の店だから当然なのだろうが、いろいろな事情で売っ払われた、その品物や売った人間のせつなさが、店内に漂っている。と、ちょい重たい空気を感じてしまったのだ。

渋谷もそうだが、昨日は、どの繁華街も人で溢れていたことだろう。夜は、昼間以上の人出だったに違いない。喧騒と人ごみ嫌いで、いい歳になったオレは、そうした街に繰り出ることもないが、イルミネーションで飾られた街と人ごみの風景の一方で、この国の人々の暮らしは、日々、悲惨へと向かっている。

母子家庭の約4割が、食料品を買えない日があったという回答をする経済調査の報告があった。しかし、これも2007年の段階で、リーマンショック後の数字は、より高くなっているだろう。大学生や高校生の就職難は、オイルショックのとき以上に厳しい。また、非正規雇用でしか働けない若者が増える。

これは、愚策を続けた前政権のツケだ。だが、その解決のために、政権交代が実現されながら、鳩山政権は、中心人物の鳩山、小沢の公設秘書の起訴によって、政権基盤がゆらいでいる。

例によって、マスコミの論調は、腹を切れ。日本人は、どうしてこうも、ハラキリが好きなのだ。

だいぶ前に、マチルダの彼と二度目に会ったとき、初対面のとき、武士道についてもっと学べとオレにいわれたこともあり、奴は、ハラキリについて、インターネットであれこれ調べたらしい。オレは精神性の勉強をしろといったのに、実際にハラキリとはどういうものかばかりを調べてしまった。

「武士道とは、犬の主人への隷従ようなものではないか」。

単純にハラキリを知れば、外国人ならそう思って不思議はない。ハラキリは、武士の名誉と矜持によっているのだ、と説明して、それはわかっているが、どうしても何事かあると、腹を切らなくてはならない姿は、隷従にしか受け止められない。

個人主義の強いフランス人だから、奴がいわんとすることはわかっている。腹を切れば、それですむのか、ということだ。自分の生きる権利、生活権を基本にする人権発祥の地、フランスからみれば、腹を切るのでなく、人権を主張せよということになる。

この国は、歴史的に、大衆も、マスコミも、腹を切らせることで問題をすりかえ、先送りする。なにかをすげ替えれば、いまよりはよくなる、うまくいくと考える。問題が生じたときに、その要因を検証し、次に何を行動や施策とするべきかに発想がいかない。

現に、大規模な政権交代の実現を、マスコミや識者は予測できず、新政権誕生を批判するような論調に終始した。政権誕生後も、これまでと違う政治手法に批判の矢を打ち続けている。そして、鳩山の公設秘書の略式起訴に、鳩山のハラキリを迫る。

つまり、新しい時代の変革の波を、ことごとく否定している。自公連立政権に、それこそ隷従していた検察は、来年から予算審議が始まり、参議院議員選挙の対策が水面下で進んでいるこの時期に、次々と民主党中枢に近い秘書の起訴を決めている。あたかも、大衆、マスコミのハラキリ大合唱のタイミングをねらったように。

ま、それはいい。しかし、フランス野郎が指摘するように、ハラキリを望むなら、その後のビジョンや施策を示すべきだ。オレたちは、こういう国つくりを考えているという姿を示さなくては、結局、ハラキリをすることで、一瞬問題が解決したような気になるだけで、問題の本質的な解決にはつなかっていない。

そのビジョンと精神によって、システムの変更を創造していくしかない。

いま、世界の図式が大きく変っている。これまでのようなアメリカ主義で世界は動かない時代を迎えている。日本も、その渦中にいる。戦後64年の政治経済システムでは、立ち直ることがでいない。それは、大衆が、自覚的であるかないかは関係なく、意識していることだ。

すべてが変る。その変化の荒波を乗り越える力は、互いの批判合戦だけをしていればいいのではない。だれかの、どこかの利権が守られればいいのではない。間違いは糾すにせよ、人々が齟齬を乗り越え、団結しなければ、この苦境は乗り越えられない。

いままで日本人が経験したことのない、発想の大転換を、自ら行わなくてはいけない時代を迎えているのだ。

ハラキリ精神ではなく、いまこそ、真の武士道精神が求められている。