秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

メリー・クリスマス

一日、プレゼンのリハ、打ち合わせとプレゼン本番。11月後半から心血を注いできたコンペ。

年末の慌しさをつくっていたひとつが、クリスマスの夕刻に終わる。結果は天にまかせるしかない。が、久々に気合を入れた仕事で、いい一年の締めくくり。とはいえ、今年はなんと28日も撮影。

年末のお疲れさんは、秀嶋組の忘年会はできず、まさに、29日のRed常連忘年会になってしまった。

昨夜は、年内のメインの仕事がひと段落して、年末のご挨拶がわりに、いつもいろいろ気をつかってもらっている、焼鳥Yoshiに、ひとりで立ち寄る。オレの仕事のことも心配してくれ、あれこれ景気談義。些少ながら釣りはいらないというのに、「これから飲んで、他でも使んだから…」と、オヤジさんらしく受け取らない。では、遠慮なくと、年末の挨拶をして、ハンナへ。

ハンナのばばあは、いつも年末早々に店を閉め、箱根で正月を過ごすのが恒例。案の定、年内は今日が最後だという。例によって、宮台真司斎藤環の最近の活動情報をチェックしていて、オレにあれこれ教えてくれる。斎藤環は、男女の問題についてのいい本を講談社文庫から上梓したらしい。必読。

すっかりオレも忙しくて、この間、電話をもらった宮台氏にメシをしようといいながら、誘えていないことを思い出す。

クリスマスだから、ばばあの店はガラガラだろうと思ったら、スタイル抜群のオネェちゃんと若いお兄ぃちゃんのカップルが隅で、しっとり飲んでいる。勘定は女性。これも、いまの男女の一つの姿か…。しかし、ハンナの暖簾をくくり、女性主導で、地酒をやるとは、いい根性をしている。

二人が帰った後、オレとばばあで、女性を褒める。いいオンナに目がないのは、どうしてか、ばばあもオレも同じ。しかし、こうしたいいオンナ、実は、男に貢いで終りということも少なくない。その逆もしかり。

東映のS室長と銀座でランチをしていたら、久しぶりに、直電で、元女優のKから連絡をもらう。たぶん、また、プライベートで何かあったのだろうと直感。キャバ嬢はやめて、学生らしい生活をするといっていたのが、また、舞い戻ってしまったらしい。

電話だから、詳細な事情は聴かなかったが、たぶん金がらみ、男がらみ、中高生時代からの古いヤンキー仲間やキャバ仲間のからみだろう。またしても、男にいいように遊ばれているに違いない。それがわかっていて、寂しさから、墓穴を掘るように、他の男で気持ちの埋め合わせをする…。

28日に会えないかといわれたが、こちらは撮影。コンペの結果発表もあり、うまくいけば、夕方から東映の年末の〆の打ち上げに顔を出すことになる。

また、キャバに戻ったのか、タコと、笑いにして交わそうとするが、「笑い事じゃないんですぅ!」と甘える。たぶん、また、面倒なことになっている。懲りない奴だ。ヤング雑誌のモデルもやっていたくらいだから、外見は申し分ないのに、男関係で、生活を崩してしまっている。

ちょい冷たいとは思ったが、オレの時間のとれるときに、また電話しろと、突き放す。若いネェちゃんの気まぐれに付き合えるほど、いまは暇ではない。

このところ、いい感じで、気合が入っている。浜松町さんの書き込みに、最近、オレのブログに元気なキレが戻ってきているとあったが、確かに。仕事のこと、プライベートなこと、いろいろあったのだが、得意の開き直りで、あれこれ考えても仕方ないと、考えるのをやめた。

いまできることを、全力でやる。それしかない。そんな開き直りをふと忘れていたのかもしれない。いい勉強をさせてもらったと思う。

そうなると、あれこれ相談され、気にかけていた奴のことも、気に病んでいたことも、どうでもよくなった。オレがあれこれ心配したところで、物事はなるようにしかならないし、オレの思い通りに事が運ぶわけでもない。

まして、人の気持ちはなおさらのことだ。

そうした不確かなものに時間を費やすより、自分のやるべきことに時間を費やした方が、結果、すべてがうまくいく、ような気がしている。

ハンナのばばあに、「なによ、クリスマスに一人なの?」と、揶揄されるのも悪くはない。いまどきノリも、喧騒も、オネェちゃんを同伴すれば、必ず、どこかに付き纏う。

「あなたは、本当に、静かなところが好きね」。半ば、怒りながら言われた言葉。

いつも人の少ない静かな店に連れいていく、オレに、わいわい好きの前のかみさんが、ややキレ気味にいった言葉だ。そういえば、二年ほど前まで、クリスマスには「メリー・クリスマス」と互いに電話をしあっていたのが、すっかりそうしたことはしなくなったことに、ふと気づく。

たぶん、オレたちは、数年前まで、互いの不確かさに、まだ、どこかで時間を費やし、不確かでないものにできないかと思っていた。だが、奴は奴の生活で、オレはオレの生活で、そして、互いが歳を重ねたことで、わかったものがある。

不確かなものに時間を費やすより、確かないまを生きるという賢さだ。

Kにそれがわかるには、まだまだ、膨大な時間と経験が必要。メリー・クリスマスが異性のためだけの言葉であるうちは、それには気づけない。