秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

とりとめもない夜の会話

仕事を早めに切り上げ、Yバンドの年1度のジャズライブを、タモリが経営する新宿御苑のライブハウスに聴きにいく。

半年に1度くらい、Yさんの呼びかけに応えて、ジャズのアマチュアバンド界では、相当レベルの高い団塊世代中心のコンサートに顔を出している。

オレの息子の大学合格祝いに、Redで、オレたち親子のためだけに、贅沢にボーカルを披露してくれた、ブロで活躍している男性ボーカリストのOさんを始め、バークレー音楽院出身の女性ボーカリスト連中と、いつものようにおバカな冗談をいって盛り上がる。

ジャズ好きの連中のいいのは、ノリのよさだ。たいした面識がなくても、ジャズ好きというだけで、オープンマインドな関係がすぐにつくれる。彼らのたまり場、ファーストステージに初めていったときも、旧知の知り合いのようにオレを受け入れてれた。

おやじが60年代ジャズの超有名なテナーサックス奏者だった、サンタクロス出身のJは、オレは初顔合わせだったが、トーキー時代からの映画一族だと聞いて、びっくり。祖父はMGMの専属カメラマンをやっていて、そのオヤジもそうだったという。

親戚縁者すべてが、映画関係者。だから、いまでもハリウッドには知り合いが多いらしい。オレが社会派映画の監督だと知ると、すかさず、マイケル・ムーアの新作『キャピタリズム』はよかったぞとふってくる。

例の不正経理問題で話題になったNOVAの講師をしていて、ずいぶん大変な目にあったらしい。いまは、派遣で、小中高の講師と英検の塾講師をやって生活しているという。

映画一族ながら、オヤジの影響もあり、19歳でジャズベースを始めたが、スタートが遅すぎた。それで、英語教師を目指したという。なんで映画界にコネがあるのだから、いかなったかときくと、かしこい答え。

映画業界は一見華やかだが、自分の周囲をみていて、苛酷な労働の割りに賃金は安く、将来の保証もない。スタッフとして生きていくには、厳しすぎる…。

それは日本も同じ。スタッフとして生きていくには、思い入れがないと、続けられる仕事ではない。

日本に六年もいて、周囲に英語の話せる人間が多いせいもあるのだろう。ほとんど日本語が話せない。結局、会話に置いてきぼりにされるから、英語の話せる連中と話すしかなく、バークレー音楽院出身の超英語の発音のいい女子たちと盛り上がろうとするが、奴らがニューヨーク滞在中の武勇伝でオレと盛り上がっていて、なかなか入れない。

バークレーの女子たちは、ノリもいいが、やさしい。ほどよく奴に英語で話題にいれようとするが、とても奴に聞かせられる話ではない。下ネタ爆裂だったからだ。

オレのかつての遊び友達で、いま大学の英語教師をやっている、ニュヨーク大出身のDもそうだったが、男同士で下ネタはやっても、女子の下ネタ爆裂には、アメリカ人の男は、驚く程シャイだ。引く奴もいる。実際、Jは、そういうタイプ。

まるで、Redノリの女子たちを抑え、ほどよいところの会話で止める。帰り際、青山にも遊びに来いよと奴らを誘う。音楽もやるし、奴らはRedに向いている。

昨夜は、最後の忘年会曜日。新宿の街は人で溢れていた。2ステージ目が始まる頃に、先に失礼して、歌舞伎町まで、あまりの寒さにタクシーに乗ると、六本木方面は大渋滞だという。景気が悪いといいながら、どうしたことか…。

忘年会はやれそうにないお詫びを兼ねて、長い付き合いのSがやっている、ディナーバー、とはいっても、単にホステスさんがいないだけのクラブ風飲み屋に、顔を出す。

半年ぶりにSと会う。いつものように、プライベートな悩み、仕事の苦労の聞き役をやる。別れた上海のかみさんとも旧知の仲。いまでもオレたち三人は仲がいい。歳はかなり下だが、どことなく、同級生、どことなく、かつての戦友。

中国人ニューハーフの女性?が、手伝いにきていて、こちらもノリがいい。お前はまだオンナになりきれていない、中途半端だと、いつもの説教癖。見かけいい女なのだから、がらっぱちのしゃべりはいいとして、もっと露出した服を着ろ。一日に鏡を100回見ろと、オンナになるための作法を伝授。

とりとめもなく、人に会い、とりともめなく、会話し、飲んだ夜。

人との出会いの広がりと楽しさは、だが、そこにある。日本人であろうと、外国人であろうと、オカマであろうと、なんであろうと、会話を生きる、ということができなくては世界は広がらない。

不景気の中、ウサ晴らしで飲んでいた奴もいるだろう。やけになって飲んだ奴もいるかもしれない。ガツガツ仕事をやって、ここだけは多少の自分へのご褒美、癒しとして飲んだ奴もきっといる。そして、そうした喧騒とは無縁に、孤独の中で、昨日の夜を、クリスマスの夜を迎える奴らも大勢いる。

だが、いろいろな困難や悩み、人生の不具合を乗り越えるのは、出会いを持ち、会話を生きることでしかない。と、オレは思う。

仲間内の愚痴でもなく、だれかへの不平不満でもなく、また、だれかを貶めたり、侮蔑するような言葉でもなく、とりとめもないながら、心地よい会話の中にしか、人を癒し、救う力はないような気がしている。