秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Nのこと

高校の同級生で、親友のNから、電話。

わが筑紫中央高等学校同級生のネットワーク、恐るべし。この間、乃木坂の事務所で、東京在住のおばさんになってしまった、女子たちと鍋をつついた話が、すでに伝わっている。

そのとき、話題になった、地元にいて、女性経営者として辣腕を振るい、この不況の時代にがんがん売上げを伸ばしているKが、奴の経営する洋品店に来て、乃木坂鍋パーティの件を噂していたらしい。

高校のときに釣るんでいたKも交えて、飲み会をやりたいが、正月辺りは帰ってくるのかという問い合わせ。ついこの間、おふくろの三回忌で帰ったが、そのときは、毎回帰省する度に集まってくれる奴らには、連絡をしなかった。

今回は、オヤジとあれこれ語り合い、オヤジの気持ちを確かめておきたいことがあったから。結局、その日の夕方には佐賀に戻るという姉の予定で、夜は空いてしまったのだが。

さすがにこの年齢になると、高校時代や大学時代のように、その日、思い付いたように会おうぜとは言えない。家庭もあれば、仕事もある。

まして、Nは、40代のときに、筋萎縮症を発症して、車椅子がないと生活ができない身体になった。二回りほども身体が小さくなった。介助がなくては、昔のようにふらりと出て来られる身体ではないのだ。

高校時代、ラグビー部にいたが、体育会系のくせに、途中で退部すると、反帝(社青同解放派の学生組織)で学生運動をやっていた。オレたちの高校は、反帝の拠点校だった。

洋品店を経営するオヤジの教育だったのか、思春期の頃から遊びを教えられていたから、オレたちと釣るんでいた仲間の中では、一番遊び慣れしていた。オレが残念な形で童貞を失ったのは、奴のせいだ。

オレは高校二年ときから、奴らのシンパをやっていた。その縁で、奴とは二年のときからクラスは違え、顔見知りだった。

奴らを中心とする、いくつかのセクトで共闘を組んで、生徒会執行部をやったが、学校が荒れ、生徒の猛反発をくらってリコールされた。その後を継いだ生徒会執行部にオレが入った。奴らにしてみれば、生徒に人気があり、受けのいいオレが生徒会にいることは、広告塔としてもありがたかったに違いない。

俗に過激派といわれる連中の多くがそうだが、奴らも戦術を間違っていた。オレたちの執行部は先鋭的であったが、リベラルだった。奴らの主張には、同調しながらも、手続きや段取りを疎かにしなかった。生徒の総意をまとめ、生徒も教師も誘導した。

オレの詐欺師的説得力はその頃、確立されたと思う。共闘の連中の突っ込みは実に過激だったからだ。おかげで、オレはどんな激論にも、どんな立場の人間にも、ひるまない根性をつくってもらった。

後に、教職実習で母校に帰ったとき、担当の英語の教師から、転勤した当時を知る、倫理社会の教師が、オレたちの生徒会を褒めている、教師冊子を読まされた。「変革をいいながら、それを実にリベラルな手法で実現し、学校を変えた。当時としては、稀な生徒たちの活動だった…」

高校一年のときからの親友の同じイニシャルのNが理系のコースに進み、そのクラスで奴と仲良くなったことで、Nを介して、それまで以上に奴と親しくなっていった。何か揉め事があるとき、それをまとめたり、対処するのが実にうまい奴だった。他人をほっておけない奴だった。

それを見ていて、奴と友だちになろう。オレはそう思った。奴らのセクトの中で、本気でそう思ったのは、奴だけだ。そう決意させたのは理由がある。

10・21国際反戦デーのデモに、共闘で高校生のデモ隊がつくられ、オレも参加した。そこで、同級生の一人がパクられた。リーダーだった。九州大学の母体は、支援組織を動かしたが、そことの連絡業務と救援組織体を現実に動かしたのは奴だった。

親友かどうかは別にして、同じ意図を持って闘う仲間を決して見捨てない。困っている仲間を放り出さない。口ではあれこれ文句をいっても、いざというときに、自分のできる限りの支援をする。その奴の姿を見たからだ。

それは、そのときの学生運動にいえることだけではない。人としての矜持の問題だ。それを誰にいわれるでもなく、周囲が動かない中、ひとり率先してやる奴の姿に信頼を感じた。

商売人の家に育っているから、できること、できないことをはっきり言う奴だが、ラグビーで学んだこともあったのだろう、何とかしようとする奴だった。

いまや学生運動となどとは無縁な生活をしている奴だが、らしくなく、仲間内の同窓会をやろう、中学時代の同窓会がやりたいなどといい始めた。東京にもオレ以外の知り合いがいて、会いにいこうと思っているという。

自分の時間がいつ終わるかわからない。普段は冗談と下ネタしかいわない奴だが、奴には、どこかで限りが見えている気がする。

ベタベタすることの嫌いなオレたちは、そうした話はしない。しないことが互いのルールだと思っている。

ラグビーコートを、デモ隊の隊列で疾走する奴の姿は、もうないが、奴は、まだ、奴なりに、残された時間を疾走しようとしているのだと思う。