秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

チンピラの方便言葉

オレの言葉遣いは悪い。

だれも信じないだろうが、オレは、転校した門司の小学校高学年から中学生の頃まで、同級生の女子から
「秀嶋くんは、言葉がきれいィ~」といわれ続けていた。自分では、まったく、自覚がなかった。

気づいたら、理由があった。

福岡というと、コテコテの博多弁を使っていると思っている。福岡と博多は違う。もちろん、同じ福岡市だが、市街の中央を流れる、那珂川を挟んで、城下町側が福岡、下町が博多。世界の都市構造は、常に、川を軸にして、庶民の下町と城下町に別れている。そのため、東京がそうであるように、福岡も下町言葉と山手言葉は違う。

特に、オレが小学校4年生までいた、六本松は、当時、九州大学教養学部があったり、近くの西新には、私学では名門の西南学院大学があった。黒田藩の藩校だった、県下トップの名門高校もありで、福岡でも比較的、豊かで、知識階層の家庭が多かった。

もちろん、オレの家庭はそうではないし、オレの家庭より、もっと貧しい子どもたちもいたが、昔は、豊かな家庭の子どもも、公立に通うのが普通だったから、みんないっしょくたに学校に通う。そうすると、当然、文化は、品のある方になびく。つまり、博多弁でいう、「よかとこの子」に子どもたちは集まり、その言葉が仲間に伝播する。もちろん、家庭での親の教育の質に同じテイストがないと無理だが。

福岡と門司では、まったく方言が違う。そこで、オレは無意識に、転校先の門司に溶け込もうと、互いの意志が、齟齬なく伝わる標準語を使っていたのだ。しかし、それができたのは、それまで通っていた小学校の同級生たちが、やさしい博多弁、標準語に近い言葉を使っていたからだった。

で、もう一つは、転校して友だちもいないからと、本を読み漁り始めたことだ。これも信じられないだろうが、オヤジが買ってきてくれた『ロビンソン・クルーソー』に始まり、福岡へ戻る頃には、ついに、トルストイの『戦争と平和』やドストエフスキーの『罪と罰』にたどりついていた。もともと、オヤジが読書家で、クラッシック音楽好きだったことや、オフクロも文化的なことが好きだったというのもあるが。

中学に入ると、ここでも、また転校生で、無意識に標準語に近い言葉を使っていたらしい。そして、また、本。図書室にあった文学系の本は、中学2年までに全部読んでしまっていた。本は標準語で書かれている。当然、その言葉が残る。で、仲間と無意識に標準語。当然、言葉はきれいになる。

が、しかしだ。そんな男子には、女子はもちろん、男ともだちは寄ってこない。いわば、ひきこもり系みたいなもの。剣道部で、男子っぽかったし、剣道も強かったが、仲間はおとなしい奴ばかりだった。

中学2年のとき、クラスは、学校中のトップワルが集まっているクラスで柄が悪かった。女性教師をいびって泣かせるなんて平気でやっていた。オレは、知らんふりして、自分の世界の閉じこもろうとしていたのだが、いつも弱い者いじめをし、オレにも、大人しいからとちょっかいを出す、許せない奴がいて、さすがに、ある日、キレた。それまでの人生で、オレは、人を殴ったことがない。肉弾戦の喧嘩をしたこともない。それが、まじ、本気で、相手をボコボコにした。「こいつを許しては、泣く奴がいる」。その気持ちだけだ。謙信ではないが、義のための闘いだった。

思春期は簡単なもので、喧嘩の強さで序列が決まってしまうところがある。で、実は、秀嶋は、がっつり喧嘩する男なのだと、回りのやんちゃやってる奴らが認める。ボコボコにした奴が、それなりに喧嘩が強いと思われていたから、なおさらだった。やってみたら、実にチョロくて、オレは一発も喰らわなかった。だてに剣道はやっていない。

とたんに、ワル共がオレのところに集まる。仕方ないから、奴らと同じ言葉を使う。ところが、ふとあることに気づいた。ガヤガヤ騒いで、HRも、ままならなったクラスが、オレが司会担当のとき、奴らと同じ言葉で、「おい、ちょい、静かにしちゃらんや!」なんてことを言うと、シンとなる。つまり、「静かにしてください!」では、伝わらないことに気づいた。言葉がきれいと思っていた女子は、あっけにとられていたが。

そして、奴らとそれなりに話をするようになると、家庭での親との軋轢や貧しい家庭ゆえのイライラなど、自然と耳にする。オレがボコボコにした奴は、産婦人科の医者の息子で、親父に暴力をふるわれていた。

オレは、以来、相手によって、言葉を変えるようになった。また、自分の思いを強く伝えたいときに、意図的にキツイ言い方をするようになった。わかる力があるのに、わからない奴にはガツンという。いえない奴はかばう。最初っから、わらないだろうなと思う奴には、やさしく言う。わからなかった奴がわかってくれたら、言い方を変える。いえない奴が、いえないからと、影でわからないこと言えば、ガツンという。

相手に応じて、状況に応じて、言い方を変える。言いたい内容によって、言い方を変える。つまり、言い方がひとつであっては、こちらの思いも相手の思いも、伝わらないし、理解できないということなのだ。
以来、オレにとって、会話言葉は方便になった。

高校、大学、そして、仕事の中で、人に何かを伝える気があったら、常識があってはならないという確信が、一層強まった。とりわけ、オレが常に対峙している、古い価値観や常識、既成概念、制度やシステムに関連することについては、アホよばわりも、バカ扱いもする。

それで、不遜な処遇や痛みを味わっている人間が、この世の中にどれほどいることか。それを知っているからだ。もちろん、オレがアホ、バカよばわりする奴らにも、痛みはあるだろう。それは百も承知。しかし、奴らとそれについて語り合うためにも、がっつり本気でぶつかることが大事なのだ。相手がぶつかってこないのなら、こちらからぶつかるしかない。

強い刺激を与えれば、相手は怒ったり、動揺したりする。そこで、こちらが、譲る。決して、強い言葉を使ったからといって、自分の意見を100パーセント通らせようなどとは、鼻から思っていない。しかし、こちらが謙虚になると、相手も多少は譲ってくれる。ま、いいかとなっところで、力がぬけ、相手も本音を言う。そこで、着地点を一緒に探す。しかし、オレが本当はどう思っているかは、間違いなく、相手に伝わっている。何かを少しずつ、変えていくためには、それだけの知恵がいる。工夫がいる。このていたらくな国では、特にそうだ。

もちろん、これは危険な賭けかもしれない。しかし、常識を覆す、意外性がなければ、くだらない常識はいつもまでも、変わらない。人々が常識と思っているもののほとんどは、刷り込まれたものに過ぎない。
本当に自分はそれを検証したのか。「すべてを疑え」とは毛沢東の言葉だが、ある意味、それは正しい。

人とつながりあうには、方便がいる。正しさばかりをいったところで、正しさは通じない。どうして、そうなってしまっているのか。どうして、それに疑いを持てないのか。変ろう、変えようとしないのか。それへの共感も、妥協ではなく、時には必要だ。

アホ、バカ、あんぽんたん、クズなど、確かにオレは言葉はわるいが、そんな心根もあっての上でのことだ。