秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

空っぽのコップ

オレは、オヤジが大好きだった。男の子は、幼少年期はみんなそうだと思う。

思春期になって、あれこれ反発もするが、それでも思春期、青年期と成長するにつれ、社会との結びつきが生まれてくると、父親をひとりの人間、男としてみれるようになる。

大好きだったオヤジが、今度は、社会的な存在として、尊敬の対象となることもあるだろう。だらしない男の一面を知って、文句をつけることもあるだろう。だが、同時に、そのだらしなさに、人間的な近さやいとおしさを感じることもあるもしれない。

また、暴力や虐待をうけ、あんな奴と全否定しながら、全否定という激しい言動でしか、オヤジのへの憧憬と、愛情を表現できない場合もあるだろう。あるいは、完全に心を閉ざし、父親との関係から撤退してしまうこともある。

幼くして父親と、離婚や事故、病気などで離別した場合、父親というものの憧憬を持ちながら、それを押し殺し、心の中で、父権への思いを増大させてしまうこともあるかもしれない。

それゆえに、歪な父親像を持ってしまうかもしれないし、それを乗り越えて、母親や兄妹に対して、父親役を自ら引き受けることもあるだろう。欠落した感情が生む、孤独感をどこかに抱きながら、自分という人間のすべてを受け入れてくれる、何かを求めて、心の漂泊をすることもあるかもしれない。

芝居や劇団をやっていたせいもある。あるいは、そうした縁と出会う人間だったのかもしれない。オレの身の回りには、思春期の頃から、父親や母親のいない知人、友人が多かった。

舞台の世界というのは、いろいろな事情で家族関係がうまくいってない奴、離婚や死別などで、どちからの親を失った奴、再婚した新しい親との生活を生きている奴、そんな奴らが意外に多い。

意外といったが、実は、意外ではない。芝居の世界、とりわけ劇団の世界は、ある意味擬似家族だからだ。小劇団であればあるほど、その傾向は強いと思う。

父権の象徴のように、劇団の主宰がおり、演出家がいる。幾人もの役者が集まれば、それぞれの個性で、その中から母親役、兄役、姉役をやる人間が出てくる。常時スタッフとして絡む奴らがいれば、それは、たまに顔を合わせる、近所のお兄ちゃんだったり、お姉ちゃんだったりする。

そこでは、子どもになることも、妹になることも、弟になることも、容易だ。また、部活の同級生仲間になることも、先輩後輩になることもできる。なぜなら、それぞれの人間に、部活の仲間という関係を支えられる、安定した擬似家族関係があるからだ。

だが、擬似家族であるがゆえに、家族的エロスと同じ問題も生まれる。劇団の色恋沙汰が面倒なのは、恋が生まれても、それを一回性のものとして、簡単に放り出すことができないからだ。行くとこまでゆくしかない、家族的エロスの濃密な恋愛になってしまう。

そればかりか、他の擬似家族も巻き込み、一つの濃密な恋愛が、擬似家族の崩壊を招くことだってある。

恋愛だけではなく、瑣末な事柄で、亀裂も生まれる。ちょっとした感情の行き違いから、修復できない険悪な空気が生まれ、収拾がつかなくなってしまうこともある。擬似家族ゆえだ。

しかし、それでも劇団や舞台の世界の、父権(主宰や演出)を軸とした、擬似家族関係から、飛び出せない。それは、家族的なるのへの渇望がそうさせているのだ。その苦しみの先に、芸と出会う人間もいるから、あながち、濃密な関係は否定されるものではないとは思うが。

ことわっておくが、女性主宰者、演出家は、どこかに父権を持ち合わせていないとやれない、とオレは思っている。必ずしも、男性だからそうだといっているのではない。

いろいろな事情はあったが、ある意味、オレは、それに疲れて、劇団を解散した。と、いまは思う。

それでいながら、やはり、舞台や映像の世界から抜けようとはしていないし、結局、劇団をやっていた頃の延長のように仕事をし、そこで出会った役者やスタッフのことを気にかけ続けている。

格段、オレが気にかけたからといってどうこうということはないし、それを奴らが求めているわけでもない。オレがそうなってしまうのは、やはり、高校演劇や劇団の中で、染み付いたオレの感覚なのだろうと思う。

いいオヤジとおふくろ、そして姉のいる家で、好き勝手にわがまま放題で育ったオレが、依然、どこかで擬似家族を求めている。それは、オレにもわからない。基本、濃密な関係は好きではないし、オレを知る人間は、信じないが、実は、他人と深く関わることも、本来、得意ではない。

その好きではなく、不得意なことに、なぜかいつも手を染めている。

この間、おふくろの三回忌で福岡に帰ったとき、F大教授をやっている、親友の大学の同級生に、学生時代にいわれたことをまた、いわれた。

「秀嶋は、ずっと、空っぽのコップだな…」。

大学で出会った頃から、満たされない欲求で満々としているというのだ。ま、満たされるべき、水を求めている、わがままなお子ちゃまみたいなもの。

面倒をみているようで、実は、オレが、回りの連中に面倒をみられ、父親役や兄ちゃん役をやらせてもらっている。