秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

置き忘れてきた舞台

文化庁と芸術振興協議会、メセナ財団の舞台芸術支援の説明会にいく。

演劇分野の文化庁支援事業は、基本、特殊法人など、NPO法人でないと支援が受けれらない。うちのような一般企業名ではできず、任意の団体をつくって申請するしない。しかも、過去2年のうちに、公演実績がなくてはいけない。

それは、わかっていたのだが、方針や施策に新しい変更はないかと出向く。

ふと気づくと、平田満と井上加奈子が来ている。つかこうへい事務所草創期の主要メンバーの二人。熱海殺人事件の若い刑事役と婦人警官役で、そのときの伝兵衛役は、亡くなった三浦洋一だった。いわば、純正つかこうへい事務所の役者。二人は、つかが劇団を解散する少し前に結婚している。

井上加奈子は、メジャーにはならなかったが、いい女優だったと思う。テレビの脇役などやったが、平田との結婚を期に舞台を降りた。その後、平田は、風間杜夫と出演した、深作監督の『蒲田行進曲』で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞し、本当の意味での、メジャーになった。

文化庁の支援事業の説明会に参加しているということは、自身で舞台をやるつもりなのだろう。

平田とは直接面識はないが、大学も学部も同じ。年齢もそう変らない。まだ、つか芝居が紀伊國屋でかかる前から、うちの劇団の制作の連中は、つか事務所や東大の野田秀樹の夢の遊民舎などに公演案内で出入りしていて、制作同士では、あれこれ意見交換していたらしい。

オレが主宰していた、劇団回り舞台は、学生演劇の中では、後発だったが、早稲田のオレたち同輩の学生演劇で初めて、外部の劇場を使って公演した劇団で、一部の劇団では、知られていた。それもあって、制作は、オレの知らないところで、交流を持っていたらしい。

劇団を解散するまで、オレにそれを知らせなかったのは、オレがこてこて早稲田小劇場にはまっていたからだ。なにせ、オレは、早稲田小劇場の会員で、初めて富山の利賀三房で公演があったときは、一目散にかけつけていた。

早稲小に知り合いの女優がいたこともあって、公演が終わると、まだペイペイだったオレが、清水邦夫や後に師事した、東宝渡辺保、評論家の大笹吉雄といった、お歴々が並ぶ中、打ち上げの末席に座らされ、アングラの女王といわれていた、お加代さん(白石加代子)にお酌してもらうなどということがあった。

だから、うちのスタッフは、若い女子集めて、チャラ系の芝居をやる劇団とコネクションを持つなんてことを、オレが知ったら、激烈に怒るとでも思ったのだ。

あれから30年近く経って、いま、オレは、当時やった、舞台を再演しようとあれこれ模索している。その同じ時期、一世を風靡した同じ年齢の役者が、やはり舞台をやろうとている。舞台のスタイルや内容は違うが、オレたちは、やはり、どこかで舞台をやり残していると思っているのかもしれない。

同時、演劇の新しい勢力として、講演会で一緒になり、あれこれ、気を遣ってもらっていた、生田萬さんや流山児祥さんは、その後、映像の仕事もやっていたようだが、やはり、まだ、舞台にかかわっている。

東宝をやめてから、舞台とは縁を切ってきたオレがそう思うように、まだ、置いてき忘れてしてまったきた舞台があると思っている連中がいるのだ。それが、偶然、説明会で出会うということに、奇妙な不思議と、何かを教えられているような気になる。

資金的な手当てもつかず、まだ、暗中模索の作業だが、今期後半は、いろいろな意味で、オレの人生の最後の転換期のような気がする。