秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

まだはぇんだよ、おっさんたちよ!

この数日、突然の中年男性からの電話が続いている。それもいきなり、〇〇だけど…で始まる。
 
新手の勧誘かなにかと思えば、福岡の中学校の同窓会の連絡だ。
 
同窓会の連絡なんてものは、ひとりと連絡がとれれば、住所や連絡先の確認はできるのだから、それでいいのかと思ったら、オレの連絡先を聞きつけて、この数日、次々に電話が入ってくる。
 
こういうので困るのが、〇〇だけど…といわれて、すぐに顔が浮かばないこと。顔が浮かんでも、あまりのおっさん声に、ほんとに〇〇なのかと一瞬、疑心暗鬼になる。
 
これがまた、不思議で、高校でも同窓だった奴はひとりくらいなのに、同じ学区で、県内でも屈指の進学校で有名な筑紫丘に進学した連中ばかり。なかには、オレが筑紫丘に進学していたとばかり思い込んでいる奴までいる。
 
いやいや、オレだって、目指していたさ。だけど、中学3年の秋、最終の進路指導で、成績が微妙だから、筑紫中央に行けばと担任教師にいわれ、受験勉強のモチベーションくじかれたし…
 
で、受験勉強も後半投げ出して筑紫中央に入り、そこでの全学模試で下から一桁で数えられる最低の成績になってから、完全につまらないプライドがくじかれて、すっかり勉強は放り出したし…

そのおかげで、演劇やフォールサークルや生徒会、学生運動をやって、ちょっとほかに負けない素晴らしい高校3年間を過ごせたし…
とはいわなかったが、オレが早稲田にいる頃、そのひとりと、高田馬場で飲んだという…?? まったく記憶がなく、まったく顔が浮かばないw

なんでも5年に一度の割合で中学の同窓会は開かれているらしい。今年は、学年が還暦ということで、とくに広く声をかけようと、あれこれ伝手をたどりながら調べているらしいのだ。
 
オレは、小学校、中学校はデラシネ生徒、いわゆる転校生だった。だから、転向した先の小学校を卒業したものの、土地への愛着もなく、なつかしさといったものがない。小学校の同級生で仲のよかった連中も全部転校生で、卒業するとみんなバラバラに全国に散らばっていった。
 
中学は1年の入学のときからいたが、ここもいままで住んだことのない場所だった。だから、オレはポツリとひとり、小学校時代からのつながりのないデラシネだったのだ。つまり、中学にも愛着というものがない。
 
高校はその3年間が途轍もなく充実していたので、記憶に鮮明だが、結局、東京の大学へ進学したくて、福岡を離れてから、高校の卒業生や先輩、後輩といった連中とも縁はなかった。ごく親しかった同級生の何人かと福岡になにかで帰るとき飲むくらいだ。

大学は大学で、英文科の連中とはまったく卒業後縁がない。なんでも北海道で教師をやっている奴とか、どこかで大学の教授をやっている奴とかが、なにかでオレの話題で盛り上がったときいても、まず、顔が浮かばない。
 
つまり、相手が覚えているほど、相手のことを覚えていないw 
 
しっかりした記憶があるのは、自分が小中高校大学でやっていたことと、それにかかわっていた奴、あとは、付き合ったり、片思いしていた女子のことくらいなのだ。ま、しどい奴だ。

ここにきて、高校の同窓会やら、創立記念日での講演やら、またまた中学の同窓会やらで、そうしたなつかしい人たちが連絡をくれるようになっているのは、そろそろ社会からリタイヤするか、リタイヤ後、新しい人生を歩もうとしているからだと思う。
 
テレビのハウジングのCMで、成長した娘の結婚式の話を退職も近い年齢の男性中年社員がトイレで話している作品がある。その中で、永島敏行が、「あの頃、オレたち、どうして家庭より仕事だったんでしょうね…」という台詞がある。
 
走り続けて、走り続けて、仕事と家庭と、家庭のない奴も、親のことと…それに追われているうちに、自分のこと、自分の時間、自分の過去の思い出も放り投げてきた。
 
それが、いまになって、ひとつ幕引きがくると、ふと置き去りにしていた記憶に戻る…というのは、人生だれにでも訪れる、たそがれの夕景。
 
だが、まだまだ、やりたいことが山ほどあり、やらなければいけない、終わっていないと思っているオレのような奴には、そのたそがれの夕景にのっていけない寂しさもある。

おまえら、何、たそがれの夕景みて、その風景に収まって、つまらないセンチメンタルに浸ってんだよ。まだまだ、やらなにゃいかんこと、おまえらじゃなきゃできんことがあるだろうが。たそがれの夕景をみるのは、今際の際で一瞬ありゃそれでいい。
 
まだ、はえぇんだよ。おっさんたちよ!
 
いつのまにか、電話の声をすっとばして、そんなことを心で叫んでいるオレがいる。