秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

戦場の花

自転車が空気の入れすぎでパンク。

早朝ジョギングしてから自転車のタイヤがよわっちくなっていたから、がっつり空気を入れたのがよくなかった。10時近くになって、突然、パンと炸裂音。すぐにチューブが破裂したとわかる。

この時期、自転車のタイヤに空気を入れるのは、早朝の気温の低いときではなく、昼過ぎにすべき。寒暖の差が激しい。気温が上がり、空気が膨張するからだ。で、昼の時間を利用して、後輪のタイヤを手にもって、新宿のハンズまでいく。行きは、電車、帰りは、ウォーキングのつもりで徒歩。

チューブの交換をしてもらっている間、久しぶりに新宿高島屋の紳士服売り場を歩く。こうしたことでもないと、最近は、銀座ばかりのオレは、新宿高島屋には立ち寄らない。

が、しかし、それがいけなかった。あれほど、今年、皮ジャンはいらないと心に決めていたのに、DESAIN WORKSの前を通り過ぎた瞬間、オレの眼に一着の皮ジャンがにとまってしまった! 振り切ろうとしたが、どうしても気になり、店に立ち寄っる。

ところが、店員さんたちと雑談していて、オレが数年前まで、Mens BIGIのスタッフの世話になっていたという話をすると、そこの若い男性店長さんが、彼らをよく知っていて、いまでも交流があるという。

とりわけ、オレのファッションコーディネートをずっとやってくれていた、Sさんは、やはり、紳士服系アパレルでは有名で、すごいセンスの人でしたよねとなる。まさに、奇遇。

Sさんとは、店舗が撤退するとき、連絡しますといいながら、3年以上が経っている。不義理をしている。10年ほど前、Sさんとの出会いがなかったら、オレは、いまのようなファッションになっていたかどうかわからない。

また、その頃、付き合っていた、いまは某有名女優のマネージャーをやっているYがいなかったら、赤いブルゾンなど自分から買うということもなかったかもしれないのだ。SさんとYは、会ったときから意気投合して、オレがためらいそうなデザインや色合いのものを着ろと、強引に薦めてくれた。

そんな昔のことを思い出したからではないが、買わないはずの皮ジャンを買ってしまう。

音楽もそうだが、ファッションも、そのときの自分の生活や気持ちで、望むものが変る。オレは、昔からそうだったが、自分のそのときの心象風景に合った音楽が聴きたい、服が着たいと思う。とりわけ、心が乾いているときは、そうだ。

贅沢な話だと思う。しかし、旅行は時間がもったいないと思い、心踊る趣味もあるが、欠かさずやる時間もなく、時間があれば、少しでも仕事をやり、原稿を書こうとするオレは、ほぼ毎日、仕事のことと作品のことしか考えていないし、時間を贅沢に使うということができない。

15歳のときからそういう生き方で、それでもオンオフを分けようとしていたが、いまは、もう人生の終盤に差し掛かり、その時間もゆとりもない。

そうした時間があったら、少しでもいろんな奴と話をしてる方が、まだいい。これも、人生の終盤に差し掛かった証。思い残し切符は、だれかに渡さなくてはいけない。

昨日のブログで、ORIONの話を書いたが、だから、夜空をずっと見上げるなんてこと、ずいぶんしていなかったと思う。

最近、天気がいい。早朝や昼間、時間をみつけて青山墓地を抜けて、ウォーキングをしていると、木々に掛かる木漏れ日がいとおしく、美しい。

小学生とき、担任の教師から、戦場の花の話を聴いたことがある。

明日、自分の生死がどうなるかわからない中、敵地への行軍途中、わずかな休憩になり、腹が減り、疲れきったからだを地面に投げ出すと、そこに一輪の花が咲いていた。

これまでなら、気にもとめなかった、そんな道端の花が、そのときは、くっきりと見え、途轍もなく美しく思えた。そして、その花の周辺を見上げると、木々のざわめき、陽の光に輝く木の葉、風のにおいまでもが、美しく、いとおしく思えた…。

生きている…。その実感が一気に胸にせまり、わけもなく涙が流れた。生きているということは、なんと美しいのだろうと。

いつまでも自分の時間が続くと思っているときは、それには気づけない。美しいとめでることはできても、いとおしいと思うことはできないと思う。

明日、それはもうないと思うと、自然も、いままで出会った人すべてがいとおしいと思える。「死者の目線で物を書く」。井上ひさしがいっていた言葉の意味は、そういうことだ。