秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しいステージ政権誕生

昨夜、鳩山由紀夫新内閣が発足した。

NHKの閣僚会見は、朝の2時近くまでかかったが、視聴率はかなり高かったのではないだろうか。

今回の選挙を通して、初めて、マニュフェスト(政権公約)を軸に選挙が展開され、国民の中に、政治への関心、政策への関心が高まった。政権交代後も、民主党のマニュフェストが実現できる、できないといった議論が、賛否も含め、マスコミ及び国民の中に起きている。それ自体が、これまでの選挙と決定的に違う。

選挙が終われば、おまかせ。それが、これまでの選挙。あの党を、あの人を選んだから何とかしてくれるという民意ともいえない、頼りない民意だった。ノリと話題性、ブームに乗せられる、ポピュリズム(人気主義)の政治が長く続いた結果だ。

そのいい加減さ、曖昧さ、意志の脆弱さが、小泉政権の暴挙を許し、自公独裁の弱者切捨てと国民の生活を犠牲にした、外需依存の荒廃した、内需なき、アイデンティティなき社会を生み出してしまった。点数稼ぎのために、外需依存経済をつくり上げた、竹中の三位一体政策によって、地方がどれほど疲弊したか。

しかし、それが、今回は、初めて政権を担う与党であるということもあって、選挙後の政策実現への関心へと引き継がれている。つまりは、国民が、自分たちの生活が、自分たちの社会が、国が、このままでいいわけがないと、はっきりとした意志を持ち、表明した選挙であり、政権交代だったということなのだ。

昨日、TBSの朝の番組で、相変らず、ジャーナリズム的オチャラケをいって、報道ショーとしてのおもしろみを出そうと民主党批判の針をチクリチクリと出している、みのもんたの発言を受けて、朝日新聞編集委員星浩氏が語っていた内容は、マスコミのあるべき良識、良心を代弁していたと思う。

小沢問題など民主党内部のパワーゲームをマスコミ等が批判しているが、権力の二重構造だの、秘書の西松建設問題、鳩山総理の故人献金問題といった、格好のネタと自分たちマスコミが思っている話題も、国民は承知の上で、この政権を選んでいる。

まして、政権交代・マニュフェストという明確な基軸を提出し、それへの判断を国民にゆだねた結果、国民がそれでも、自公独裁よりも民主野党連合を選択した。つまりは、国民の多くが、自ら意志を持って選択した政権なのだ。

もし、オチャラケや視聴率稼ぎの格好のネタ、マスコミが思う話題づくりといった軽薄な視点で、これを批判、批評するということは、それ自体が、視聴者であり、主権者である国民に対して無礼であり、民主主義そのものを否定することになる。

言葉は、もっと柔らかかったが、こうした趣旨の発言だったのだ。最近の報道当事者で、これを明確に番組の中で語ったジャーナリスト、評論家は、オレの視聴した中では、星氏、ひとりだった。

星氏は、わかっている。彼は、そこまでしか語らなかったが、みのもんたのこの番組を含め、TBS看板報道番組THE NEWSなど、わかりやすい悪玉、善玉をつくり上げ、通り一辺倒の批判をネタにするような、軽薄なマスコミの正義は、すでに多くの大衆に見切られている。

そうした発想でしか、この政権を読めないジャーナリストや識者は、大衆の空気が読めなかったドKYな自公と同じく、いま国民がどれほど、自公政権に怒り、自公政権を選んだ結果、どれほどの辛酸と苦しみ、悲しみにあるかを実感できていないのだ。

とりわけ、TBSの報道はひどい。力がなくなっている。こうした報道制作者、記者、ジャーナリストたちは、いま民主党政権が目指している、新しい政治の姿が、実は、見えていないのだ。依然として、自民党×社会党時代の対立政権構造の枠組みの中で、いまの政治や政権を理解しようとしている。50年体制の流れでしか、いまの政治を見れていない。

民主党が目指しているのは、戦後64年、一度も実現しなかった、憲法の第一義、国民主権を実現しようとしているのだ。国民主権なき政治手法や、政治の流れで、現政権を理解しようとして、理解できるわけがない。これまでとは、まったく違ったパラダイムで、いま民主党が実現しようという世界をみなければ、マスコミばかりでなく、自民党の健全なる野党の誕生もないのだ。

深夜の記者会見で、総務大臣になった、原口一博が、「これは革命にも匹敵する、大変革なのだ」と語ったが、まさに、革命という認識がもてなければ、この政権誕生の意義も理解できはしない。意義があるゆえに、自民党が古い体質を一掃し、建設的野党として、いつでも民主党に代わりえる政党として再生する必要もあるのだ。

しかし、自民党細田幹事長は、相変らず、次の国会で、西松建設問題、故人献金問題を攻撃の材料とするなどとアホなことを言っている。ネガティブキャンペーンに時間を労している暇はないのだ。それは、検察や警察の司直に任せておけばよいこと。国会でやるべきは、政策論争であり、国民生活のための真摯な議論、虚言のない実直な情報公開だ。

軽薄なネガティブキャンペーンをやる暇があったら、政治をどうにかしてくれ。それが国民の意志だった。民主党は、これまでの政治、もっといえば、明治維新以後、大久保利通によってつくられた中央集権、官僚政治を根本から覆し、真の民主主義を樹立しようとしている。その決意に伍する、野党、報道が、いま求められている。

総理就任後、最初の記者会見で鳩山が語った言葉。

「単なる民主党の勝利だと思っておりません。やはり、国民の皆さんにとって、お暮らしが大変厳しくなっている。今の政治、何やっているんだとのお怒りが、民主党への期待感に結びついたということも間違いないことだと思っております」

「その意味では、謙虚に私どもとしては、いかにして国民の皆さんの方向を向いた政治というものを作り上げていくかということがすべてだと思います」

「とりもなおさずこれまでの野党というものが非力だったということが、むしろ自民党に対して反省を求めるよりも、野党が非力だったということが、国民の皆さんに不幸を招いた原因だと理解しております」

明治維新以来、官僚主導という政治が結果として国民の声が聞こえない政治というものになりさがってしまった。この弊害を除去するために、政治主導に政治を変えていかなければならない。国民の声を大事にする政治にかえていかなければいけない。そのためには、国民のみなさんが自ら参画するという勇気を持っていただきたいということだった」

「まさに国民のみなさんの今の立場の中での苦しみをできるだけ解放するような政治、一人ひとりの心というものを思いやりながらみんながみんな居場所を見いだすことができて、あるいは働く場所を見いだすことができる、そんな日本の社会をなんとしても作り上げていきたい」

崩壊した日本国を建て直し、人心を育み、国民主権をもらたすものは、ジャーナリステックでもなく、ポピュリズムでもない。このように、当然、当たり前とだれもが思う理想を現実とすることなのだ。

扉は、自公やマスコミが思う以上に、新しいステージに向かっている。