秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

政権交代

衆議院議員選挙は、予想したとおり民主党の大勝に終わった。

NHKはもとより、民放各社も恒例の選挙報道。しかし、民放各社のアンカーや識者のコメントは、低俗で、実にひどいものだった。

アンカーをやっている人間や報道関係者に、時代を読む目や大衆マインドを感知するアンテナが完全に欠落している。それこそ、自公独裁がこの選挙でやぶれた、大きな要因なのだが、それを報道各社がやっている。

アンカーや解説委員、報道局、政治部記者は、低俗な週刊誌や大衆誌のような文切り調の質問に、煽るような低俗な質問ばかり。

民主党の小沢が、小沢チルドレンなどとレッテル貼りをやって、小泉チルドレンとの比較をしている、報道マンのていたらくに、一言いっていたが、まさにその通り。今回の民主党の新人や当選者と小泉のそれとは質、内容ともに雲泥の差がある。

マスコミは、この選挙が一瞬の風によるものだとか、小泉郵政選挙の逆パターンのような軽薄な読みしかしていない。逆に、苦戦して勝利した自民党員の方が、大衆の確かな意志やマインドをしっかり実感し、痛烈に自己批判している。

ジャーナリステックな視点だけで、偏った取材してきた未熟な記者たちのレポートに目を通し、党幹部の政治家や政治評論家のような人間の分析や解説に頼って、意見を述べているから、そうした軽薄な質問しかできない。普段、自分の眼と足と直感で、大衆とふれあってないから、この選挙結果に、驚き、アホな質問しかできないのだ。

自公独裁の大敗のもっとも大きな原因は、大衆の、国民一人ひとりの痛みを実感していなかったからだ。
政策秘書や官僚の情報、マスコミ報道などで、社会の現実を知っているうような気になり、机上でしか、大衆のマインドを読めていなかったからだ。

つまりは、政治家は、政治家の眼でしか大衆を見ず、ジャーナリズムは、ジャーナリズムの眼でしか、大衆を見ていない。この国の政治や報道にたずさわる人間が、生活者の視点で、人間の視線で大衆を見ていないから、こうした現象になっている。それがわかっていない。

NHKだけが、報道のみに徹していたが、大勝が決定的になって、二度目の党首記者会見をノーカットで生放送した。そこでの鳩山の記者への質問は、実に見事な受け答えだった。

ずいぶんおろかな質問もあったが、きっちり、冷静に、その愚かさをやんわり指摘し、答えるべき質問に、的確、かつ正直、真摯に答えていた。

政権を担うものの、倫理と矜持に溢れたもので、この数年の自公独裁政権党首たちとは比べものにならない品格に溢れていたと思う。

余計なたわごとや、愚かな質問をしたり、ジャーナリステックな意見をジャーナリストだけでわいわい語る時間があったら、こうした当事者のコメントや質疑応答をノーカットで流す方がはるかに良心的だ。判断するのは、おまえらではない。オレたち大衆なのだ。

タレントで報道に出演していた、島田紳介、たけし、それに宮崎県知事の発言はまったく不要。

今回の選挙、大衆は、ジャーナリステックな話題で投票行動したのでもなく、タレントが軽薄な解説や分析をやるのを聴きたくてやったのでもない。

切実に、真摯に、自分たちのこれからの生活不安や、苦難にあえぐ毎日の暮らしの中で、しっかり政治家の意見を聞き、自分たちなりの判断の上で、投票行動を起こしている。

時代の空気は大きく変っている。それに気づけないのは、自公だけではなく、こうしたマスコミ、ジャーナリズムでぬくぬくと生活している、あなたたちでもあるのだ。

この政権交代は、そうした人々へもNOを突きつけている。