秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

OKINAWA

高校生のとき、沖縄返還批准措置法をポケットに忍ばせ、赤線だらけにして、その問題点や議論の課題を学んでいた。
 
あれから40年経っても、沖縄の基地問題は、以前大きな政治的課題だ。だが、戦争の記憶の喪失、希薄化で、沖縄の基地問題を歴史的な事実を踏まえ、きちんと議論できる人間が少なくなっている。
 
65年前、沖縄で何が起きたのか。65年前、沖縄は、なぜ、あれほどの悲惨を、本土に代わって、引き受けさせられたのか。
 
すべての住民、幼児、少年少女、女性、高齢者まで、あらゆる住民が、なぜに、死を前提として、本土の住民、国民に代わり、いのちを犠牲にされたのか。集団自決を迫られなければならなかったか。皇軍の兵に、殺害されなければならなかったのか。
 
オレの住む、福岡にも基地問題があった。米兵によるレイプ事件や日本人女性の殺害事件は、数ヶ月に一度は新聞の記事になり、黒人兵や白人米兵とのハーフの子どもも何人かいた。そこに差別もあった。
 
レイプ殺害事件があっても、犯人を拘置できない。地位協定の中での、日本の警察の限界をオヤジの愚痴で聴いた。「戦争に負けたけん、しょうがなかったい…」。
 
あの頃から、そして、沖縄返還のときも、そして、いまも、日本本土の国民は、だれも沖縄の65年の犠牲を清算しようとしはしない。基地は沖縄にあるもの。その偏見と差別と利己主義のままだ。
 
この国は、だれも、戦後65年のツケと沖縄の犠牲に責任をとらない。
 
自由独立国家だった沖縄を、奄美大島などと同じようにさとうきびと、海外密貿易の拠点として侵略し、人頭税など過重な税負担によって隷従させ、差別と偏見の土壌をつくったのは、薩摩藩。鹿児島県民の先祖だ。
 
その反省と謝罪もなく、オレたちの土地にこられちゃこまるは、ちゃんちゃらおかしい。
 
沖縄は、まだ、OKINAWA。