秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人間臭さ 男臭さ

昨日は、二日続きでボランティア。新橋駅前で朝から献血運動に参加する。

400CC抜かれ、久しぶりに、ふわりとする。そんなふうに、実は、ひ弱なオレに、ボランティア仲間のおばさんたちが、秀嶋さんは、普通の人の倍摂れるんじゃないのと、からかわれる。やはり、オレは、一見、血気さかんに見えるらしい。

確かに。社会問題の深刻な情報やいのちや人権をないがしろにした出来事に出くわしたり、耳にすると、一言、語らずにはいられなくなる。社会常識のない、理不尽な行為や発言には、キレる。その一方で、オネェちゃん好きときている。物書き・絵描きの卵、Mちゃんには、以前、色情狂?とまで、いわれている。

そういう一面を少しでも穏やかにすべく、ボランティアなんぞもやっているのだが、まだまだ修行が足らないらしい。さほど、深い知り合いでもない、おばさんたちに、オレの本性がすっかり、見抜かれている。

しかし、それでいいのだ。下ネタから革命を!を唱えるオレは、どこまでも人間臭い人間でありたい。男臭い男でありたい。

昨日は、そんな人間的で、男臭いドラマをゴルフで観て、ひとり感動していた。

サン・クロレラ・クラッシック。人気の石川遼の18番ホール。ブレンダン・ジョーンズを一打差でふりきり、完全優勝を果たした。

素晴らしかったのは、成績ではない。石川を応援するあまり、ジョーンズがミスショットをすると心無いギャラリーから拍手が起きていた。マナーを知らないギャラリーに対して、ジョーンズは、かなり不愉快だったに違いない。

年の差はWスコアとはいえ、男と男のガチンコ勝負で、しかも、一進一退の素晴らしいゴルフをしているときに、その清廉な空気を壊すようなことをやっている。ジョーンズばかりでなく、石川に対しても、それは無礼極まりないことだ。

双方がギリギリの緊張の中で試合をしているからこそ、互いのナーバスになっている心の葛藤が理解し合える。完全アウェーの理不尽な拍手の中で、プレーを、仕事をまっとうしようと、集中するジョーンズの姿は美しくもあった。

石川は、優勝後のインタビューで、ジューンズへの感謝を語り、泣いた。しかし、あの涙は、ただ、一緒にプレーできてありがたいという軽いものではなかった。不安と迷い、プレッシャーの中で仕事をまっとうしよう、いい勝負をしようと闘い続けたジャーンズの中にあった、自分と同じ痛みに共感し、泣いていたのだ。

全英リコー女子オープンのメジャーでは、宮里藍が一時、トップにいながら、バック9でミスショットを2回やり、惜しくも3位になったが、終始攻めのゴルフに徹していた。いま自分にできる最善のことをやるという彼女の姿勢は、凛々しかった。困難や試練、失敗を決して悲観的にとらえず、その苦難の中で、いまできることをひたむきにやる。その美しさだ。

オレがいつもいうように、いまという時間は二度と帰ってこない。明日がんばろう、次にがんばろうではなく、いま、このときを懸命に生きよう、今日一日を無駄にしない生き方をしよう。そこにしか、明日を拓く鍵はない。うまくいってないときでも、コツコツと努力を惜しまない気持ちが大事なのだ。そこには、嘘がない。ごまかしがない。

しかし、人間は弱い。だから、ふと今日一日を無為に過ごしてしまうこともある。がんばれず、嘘やごまかしをしてしまうこともある。問題なのは、そうした自分の弱さと真摯に向き合えるかどうかなのだ。それがあれば、自分自身の弱さから、何かを学びとることができる。

その苦労に石川は泣き、宮里は、悔しさの中で、明日を見据えていられる。

詭弁の多い、この国の政治や社会状況を見ると、なおのこと、その大切さが実感できる。自公独裁政権が景気好転などと詭弁を弄し、責任政党をキーワードにマニュフェストは発表した。しかし、実質失業率が、8・8%という数字が、ここになってやっと明るみに出てきた。

自公が実施した雇用調整助成金で、解雇せずに一時休業にして、隠れ失業を抱え込んでいる実態がわかってきたからだ。リストラ勧告をされながら、3ヶ月間の猶予という処遇を受けている、女好きIもその中に入っている。

おそらく、これから先、自公独裁が国民の生活のためにと語ってきた、様々な施策が、実は、自分たちの政策の過ちをごまかすためだったことが、もっと明らかになってくるだろう。なってきたのは、選挙情勢が、民主党と野党連合に大きく傾いているから。それによって、これまで、自公独裁に媚を売って、誤った施策の指摘をしてこなかった連中が、勝ち馬に乗りたいばかりに、次々に情報を開示していく。

国民の眼を欺いていたツケが、やっと表に出てこようとしている。政権を変えるということは、それほど重要なことなのだ。

ごまかしや嘘のない政治。ごまかしや嘘のない人間関係。ごまかしや嘘のない世界。それは、人が関っている以上、完全に実現することはできない。弱さがある以上、人に社会に生活に、ごまかしや嘘はある。
しかし、それと人間臭く、向き合い、少しでもごまかしや嘘を減らそうとするところにしか、未来はないのだ。