秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

行政ことば

締め切りに追われている。

先週始めに、官公庁のコンペ企画を一緒にやらないかと、いつもお世話になっているCプロデューサーに声をかけられていた。先週、オリエンテーションを受け、今週末に締め切り。昨日から膨大な資料と首っ引き。

こちらは締め切りは先だが、昨年、印刷会社の制作部に頼まれ、人権啓発の小中学生向けのパンフのコンペに参加し、軽く取れてしまったのだが、今年もということで、カンプの原稿依頼がきた。

こうしたコンペのたびに、眼にする行政や中央官庁の資料。実に、わかりづらいし、行政言葉で堅い。民間では、到底使わないような語句が並び、文章もまどろっこしい。こうしたコンペ資料を前にすると、まず、依頼者のねらいや本音がどこにあるのかを、そのわかりづらい文章の中から読み取る、暗号解読のような作業が必要。謎かけをされているようなものだ。

行政の法律用語をつかい、情感や情緒をできるだけ排除しなければ、担当者の恣意が出てしまう危険を避けようとするから、箇条書き的な本音のみえない文章になる。おそらく、映像化する以上、求めているのは、人間の血肉のある、実感、現実感なのだろうが、それがすぐには見えてこない。

行政マンとはいえ、同じ人間。そこに正直になれば、もっと力の抜けたわかりやすい文章を書けるはず。立場と形式にあまりにこだわりすぎるから、行政や中央官庁が制作するものに、質感や触感がなくなりがちと感じているのは、オレだけだろうか。

昨日、東京都議選の結果を受け、麻生おろしを封じるために、衆議院の解散が決まった。オレからいわせれば、「無理くり解散」。国民の多くもそう思っている。麻生で選挙をやれば、どうなるか読めているのに、あえて、それを了承した森元首相公明党創価学会幹部には、政略があってのこと。麻生が自分からやめると言い出さない以上、いずれ選挙はやらなくてならないからと、投票日をギリギリまで延ばした。

その間に、両議院総会が開ければ、麻生を退陣させることも夢ではない。また、選挙までの一月で、主客逆転まではいかなくとも、五分に持ち込めるという、思い込みがあってのことだろう。

おそらく、これから、鳩山はもちろん、民主党の議員の公私にわたる言動を徹底的にチェックし、自公独裁がネガティブキャンペーンを張るのはまちがいない。また、8月初頭の景気予測では、またぞろ、うまくいっている、これまでの麻生政権の取り組みはまちがっていないという、自公独裁に操作された、経済データが目白押しで出てくる。

そうしたことで、民主党の勢いをとめられると思っているところが、いまの自公独裁を影でしきっている連中の古さ。老齢に近い、高年のオヤジたちが、これまで通用した政略が国民に見透かされて、辟易していることに、依然気づかない。自分たちの言葉、これまでの政略で使ってきた、行政ことばで、ごまかせるとまだ思っている。

政略でもそうなら、本気でこの国を新しい道へ、21世紀の新しいパラダイムへ変換しようなどという気は、ほんとはない。微塵も意識が変っていない。オバマの登場で、中国・ロシア・インドの台頭で、世界のパラダイムが大きく変っているというのに。

麻生は、国民の生活を守れるのはどこか、国を守れるのはどこか、それを問い、これまでの実績からすれば、自公こそがそれができるとと、メモを読みながら見得を切った。見得を切るときに、メモを読む。
もう、そこに、この人の頼りなさが露呈している。威勢のいいことをメモを見ていう総理総裁をだれが信じるのだ。しかも、いっている言葉は、都議選で、お前らにはもう期待しないと全否定されたことを、まったく認めていない発言。

もし、本気なら、メモを見ず、都議選の敗北で自身が受け止めた、これまでの失策の数々を陳謝するところから始めるのが常識。過去の政策に誤りはなかったとするなら、都議選の結果をどう説明できるというのか。

しかし、これはひとり、麻生だけの問題ではない。いまの自公独裁は、結局、小泉以後やってきた、国民を犠牲にする政策への反省はひとつもしていないのだ。唯一、それをやろうとしたのは、福田康夫くらいのものだ。

行政言葉に限らず、自分の世界の言葉だけでしか、ものを伝えられない人。自分の経験の世界がゼッタイだと思い込んでいる人間の言葉は、他者の耳に届かない。心を動かさない。立場や地位、所属の枠をとっぱらい、本気で、心と体から語る言葉こそ、人を動かす。それが本当に心と体から、その人自身の言葉で語られているものかは、すぐにわかる。テレビ時代のいまは、それがなおはっきりしている。

映像はその人の裏側を透けて見えさせる。ちょっとしたしぐさ、目の動き、唇のふるえ、萎縮した顔面の筋肉、言葉…。語っていることではなく、その人間が持つ本質の姿を透けさせる。コテコテと脂ぎった表情には、嘘や横柄さが露見する。

いくら安全にと、行政ことば、政治家ことばでさしさわりなく、切り抜けたと思っても、生活の苦しさや困難に直面している人間には、経験した人間の邪さがわかるがゆえに、それが透けてみえるのだ。

国民は、あなたたちが思うほど、愚かではない。あたなたちほど、生活にゆとりも遊びもないのだ。