秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

リーダー

徳島から戻った酒豪編集者Rと打ち合わせ。

出張前に送っておいた修正構成案について、あれこれやりとり。自分でも書き物をするRは、著者の意志や意向を何より大事にする。オレがブログで、今回の企画への食いつきが悪いと書いていたことが気になったらしく、なぜ具体的事例やエピソードが必要かを、再び語り出す。オレが納得づくで、構成を手直ししたかどうかが心配だったらしい。

納得しているよ、というオレに、でも、どこか口尖らしてる感じだし、と応酬する。ほんとうに、ありがたい。オレの性格や考え方、切り込み隊長的体質を見抜いている。また、自分の意志と多少、違いがあっても、できるだけ、周囲の声や意見を汲み取ろうと無理をする場合があることも、承知している。それが、本当に納得してるんですか? という疑問符になる。こういう洞察力、配慮のある編集者は、いま少ない。

流れ作業で仕事をやっていない。きちんとした確認作業、段取りをおろそかにしない。だが、Rよ。オレはこれはこれで納得している。この企画の有意性、必要性、可能性を確信してもらえれば、それから先はいかようにも調整はきく。もちろん、オレの、これはこれで納得している、という、これはこれで、が、奴には腑に落ちないのだが(笑)。

同伴していた後輩の編集者がRがちょい席を空けたときにいっていた。Rさんのすごさは、自分が共感し、納得した企画は、ゼッタイに実現まで持っていきます。それがすごい。確かに。オレがRを買っているのも、文科系編集者にない、その体育会系ノリだ。Redの常連連中に慕われ、大事に思われているのも、Rに漂う、そのノリだと思う。

企画や構想は、思いつくことはだれにでもできる。だが、それを実現するために、汗を流し、心をくだき、いろいろな困難や試練、課題とがっつり向き合えることのできる人間は、実は、少ない。自分でも企画から立ち上げることの多いオレには、それがよくわかる。結局は、それを発案した人間、企画した人間、実現したいと感じた人間の個人の熱意や奮闘が、すべてを支えるのだ。その気概と気骨と根性のない人間が、いまは多すぎる。

だからといって、ただ一直線に物事を推し進めれば、それでいいというものでもない。その場の空気、流れ、相手の感情や意志、立場や都合、見栄や体裁、プライドといった、もろもろのものを斟酌しながら、進まなくては、実現できるものも、実現できなくなってしまう。ある部分、まな板の鯉よろしく、周囲の状況に身をゆだねるということも必要。あえて、火中の栗を拾う、ということも必要。状勢、状況に応じた柔軟さが必要なのだ。

前回もそうだったが、今回もRの、こうしたらどうか、というアドバイスがあったればこそ、もう一度、内容を再考することもできたし、前の企画書のアラも見えてきた。整合性や統一性という点でも、Rの声を聞いて、見直したことはよかったと思う。

丁度、同じ時期、これは仕事にしようという気持ちもなく、ある写真展の企画について相談を受けているが、実現へ向けた取り組みで集まっている人間たちに、純粋にこの企画を実現しようという熱いものが感じられない。もともとオレの企画ではない、ということもあるが、オレを燃え立たせてくれるような何かが足りない。それでも、こうすれば実現へ向けた盛り上がりを仕掛けることはできのではと、またぞろ、昔の広告屋、マーケッター屋の頭が勝手に動いてしまう。

あれもこれもと手を出す時間はないので、ほどほどに距離を置きつつ、相談にも乗り、多少の動きはしているが、船頭の多い企画は、大方うまくいかない。それも、熱意ある企画マンがいないからだ。

人間は常に欲と二人づれ。欲があればこそ、がんばれるし、苦難にも立ち向かうことができる。ひきこもりやニートの連中に決定的なのは、その欲の対象やモチベーションをなくしてしまっていることにある。社会や、異性を含めた人間関係への執着や欲がなくなっているから、社会から撤退してまうのだ。

だから、欲は、ただ否定されるものではない。

しかし、何事か、社会的なことを問おうとする人間には、欲を離れた使命感や使命を実現するための無償の熱意が必要。その美しさに周囲の人間は動く。まず、それがあってこそ、何がしか利益や報酬がえられるのだ。だから、当然、過度の利益や報酬を得ようとはしない。

そこが逆さまになることが多い。

政治家も官僚も、自治体の長も、教育者も、司直にかかわる者も、生活者も、いまは、そのさかさま状態にある。何か自分の益になることを先に求め、社会のために、地域のために、生活者のために、自分の使命、いのちを燃やそうとしない。クレームはいっても、自分の身を投げ出そうとはしない。

これでは、いい企画が生まれることも、社会を変える力が発揮されることもない。そうした思いや願いはあっても、それが一つに結集し、大きなうねり、潮流をつくることは難しい。

すべては、これをやってやるという心意気のある、ひとりの人間、人々から尊敬される、確かなリーダーがいないからだ。

みあげらしいみあげのない、徳島から、オレにみあげの塩をもってきたRは、謙信並に、その才能がある。