秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Cさんの宿題

夕方、東映のCプロデュサーと打ち合わせ。宿題をもらう。

雑談の流れで頼まれたいた企画。戦略的に構築し、企画マンとしてのオレの思い入れもしっかり入れてあるのだが、こちらの意図しているものが、十分に伝わっておらず、いつものように丁々発止のやりとりになる。気合のいる企画になると、オレたちは、いつもこれを繰り返してきた。

Cさんにしてみれば、作品を生かそうとしてくれているのだが、思い入れの深い、面倒な監督とよく付き合ってもらっていると思う。Cさんでなければ、ここまで話を聞いてはもらえない。

基本、企画とは個人的なもの。個人の思いの深さの中に、どれだけ普遍性を入れられるかかが勝負。それと、決まりきった常識の枠で企画をいじっても、人を惹きつけるものにはならない。これまでとは違う発想、異なる姿勢がそこに見られなければ、斬新さもない。

オレは、会社で役員をやっていた頃からスタッフにいつも激を飛ばしていたが、一つの企画を実現するのは、企画を立案した人間の熱意と情熱しかない。基本、企画をつくった人間にしか、その企画の深い思いは理解できないからだ。

それを前提にしなければ、様々な試練を乗り越えて、机上の企画を現実に落とすことは、なかなかできない。常識やルールにしばれていては、新しい試みは生まれない。だから、壁にもぶつかるし、反対する人間も現われる。

それを乗り越えるのは、企画マンの熱意しかないのだ。企画が実現しないのは、どこかで企画マンが妥協したり、うまくいくようにと計算をめぐらしてしまうから。要領よく、仕事と割り切ろうとするから。

それでは、腰くだけになり、乗り越えるべき壁も乗りえられない。もし、実現しても、現われたものが、当初イメージしたものとはかけ離れてしまうことになる。それでは、オレの企画ではない。

他者や人間への深い愛がなければ、人のこころを動かす作品にはならない。軽薄な人情芝居は、オレの趣味でも、世界でもない。

まして、社会貢献などという社会性の高い内容であれば、生活者の痛みや苦しみ、現状の社会のあり方への理解がなくてはならない。

他者の痛みに共感できないような、小手先の作品は、もともと、オレはつくる気はない。世の中の問題点や暗部を織り込まずして、生活者の心に届く作品はつくれないからだ。

従って、オレの企画は、なかなか実現しない。その辺の体質は、近代映画協会をつくった某著名監督と似ていると、よくいわれる

社会派といわれる作品は、人々の心に届く前に、映画工場という狭い世界の論理で、抹殺されてしまう。

人々の生活をみていない人間に、人々の心に届く作品などつくれるわけがないのだが、それが映画工場の世界にしかいないとわからない。結果、映画がつまらなくなる。

そんな事情はCさんも重々わかっている。映画の世界の壁がわかっているからこそ、オレへのアドバイスも生まれている。それは、ありがたいことなのだ。

Cさんから宿題をもらえる。それは、オレにはもっといい作品がつくれるはずだという期待の裏返し。あれこれ注文をつけられなければ、作品も磨かれない。

自分を高め、磨くために、オレに苦言を呈してくれる人がいることは、幸せなことだ。