秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

歩留まり

景気短観の発表で、「なお、厳しい状勢にある」の文言が取ろうとされている。

これまでの、「景気はなお、厳しい状勢にあるものの、一部、持ち直しつつある」の「一部」が割愛されるのは、確定している。つまり、日本経済は、厳しい状態からよい方向に転じているというもの。しかも、定額給付金の支給や高速道路一律1000円の実施によって、個人消費も持ち直しつつあると記載されるらしい。

この明らかに、衆議院議員選挙を意識した、自公独裁政権自画自賛の文言に、おい、待てよ! と、叫ぶのはオレだけだろうか。

この文言の扱い方は、リーマンショック後、自公独裁政権が実施した、おバカな政策が成功しつつあると国民にアピールしたいだけに過ぎない。景気短観でも、自分たちの失策、いまの生活者の現状を見ようとしていない。依然として、詭弁と情報操作をして、国民の眼があざむけると高を括っている。

いま、だれが、景気がよくなっていると実感できているというのだ。企業倒産、リストラは続き、給与のカット、この夏のボーナス減額、あるいは、まったく支給されない企業も少なくない。この夏の海外旅行は軒並み6%も減少した。失業率は依然、5%代で推移し、秋頃には、その数字はもっと上がることが予想されている。すでにリストラ勧告や退職勧奨を受け、夏以後、職を失うことが確実な人間が内部留保されているからだ。低価格弁当に老舗デパートが参入し、ディスカウントショップや割引セールが当たり前になっている現状のどこに、景気が持ち直しているという根拠がある。

ましてや、銀行の融資やクレジット会社の審査基準は、企業倒産や給与の減額を受けて、軒並み厳しくなっている。カード破産を避けようという総量規制の導入で、これまで、借金をしながらも、なんとか、食いつないでいけていた人間が、突然、借り入れもままならず、生活破綻に追い込まれるケースも珍しくなくなっている。景気対策に失敗しながら、そのツケを結局、からくも人並みの生活を維持していた層にまで、拡大し、押し付ける。まるで、サプライムローンだ。

実態経済を見ず、ちょいやばくなれば、審査基準を厳しくし、敷居を高くして、金融業界を図るために、グレーゾーンにいる人間まで切り捨てる。結局、残るのは、潤沢な報酬と資産のある人間だけで、それ以外の足腰のよわい企業や個人は見捨てられる。見捨てられた人間は、ヤミ金や怪しいノンバンクの餌食にされる。これで、景気がよくなるわけがない。

景気を底上げするためには、このグレーゾーンにいる層をグレーゾーンから引き上げることだ。かつて、中流と意識できていた多くの国民は、その少し前までグレーゾーンにいた生活者たちだった。それを引き上げたところに、戦後日本の成長があったのだ。

大企業の在庫調整や輸出入の変化といった、企業業績を基準に測定し、国民生活指数を基準に置いてないからこうしたいい加減な発表になる。もっといえば、国民生活の満足度や充足度を測る基準と指標を持っていない。机上の数字のマジックだけで、実態経済を本気で見ようとしないから、そもそも国民の生活など見えるはずがないのだ。

製造業や農業では、売り物にならない商品をどれだけ少なくするかということで、「歩留まり」をどれだけなくすかというのが、投下した資本や労力の価値を上げ、収益率を上げるものとされている。生産性の効率、向上というスローガンで、歩留まりが悪い、つまり、不良品がたくさん出ることは、徹底的に批難される。

しかし、かつて、この国が高度成長期にあったとき、やったことは、その不良品、歩留まりの悪さから多くを学んだのだ。

どうして、不良品が出てしまったのか、システムの不具合はどこにあるのか、人の技術の足りなさはどこにあるのか、あるとすれば、どういうシステムに変え、それを運用するために、どのような教育が必要なのか。よい商品をつくるために、たった一つの不良品から多くを学んだ。ゆえに、ある程度の歩留まりは、それも価値あるものとして受け入れてきた。それが、また、技術の発展や人材の育成のための糧として生きたのだ。

いまの時代、不都合なもの、不具合なもの、歪なもの、均一性画一性からはずれたもの、平準でないもの、足腰のよわいもの、社会的弱者をすべて、きれいに社会から、企業から、地域から、家庭から消し去ろうとしている。それが、強者の論理、自己中の論理を生んでいる。

経済短観も、結局、生活の辛酸を嘗めることもない、強者の世界の歪なものを見ようとしない、そこから学ぼうとしない中でつくられたものに過ぎない。

人の生活にも、企業の活動にも、政治にも、歩留まりは必要なのだ。すべてを効率と、てかてかの正義で一掃し、歩留まりをゼロにしようとするから、人の情もゆとりも、慈愛も慈悲心も、助け合いの心も失ってしまう。

歩留まりから学ぶ、歩留まりを生かす。それの知恵と工夫、ゆとりのない社会は、人を息切れさせる。