秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

日本人の本懐、美学、気骨

楽しみにしていた『官僚たちの夏』を見る。このドラマは、多くの人に見て欲しい。

できれば、城山三郎が描こうとした、かつてあった「日本の男」の姿を学んで欲しい。それを支えていた「女たちの美学」を学んで欲しい。かつての日本人にあった「気骨」を知ってもらいたい。

城山三郎を読んだことも、原作ドラマを見たこともない、多くの人は知らないかもしれないが、城山は戦時中、海軍の特攻隊員だった。「伏龍」という徒歩潜水型人間魚雷の訓練生として終戦を迎えている。

明日をも知れぬ生死と直面した人間の多くがそうであるように、城山は、戦争体験もなく、戦争の悲惨も知らず、威勢のいい国粋主義に踊らされている団塊世代のお坊ちゃま君や教養のない、成り上がり元幕僚長とは違い、戦争を憎み続けた。

愚かな戦争を引き起こし、その犠牲を女性、子ども、高齢者にまで強いた、気骨も男気もない、保身に満ちた軍幹部や、戦争によって富を肥やした成金や財閥の庶民のいのちをいのちとも思わない暴挙に、生涯、怒り続けた。

晩年は、個人情報保護法案や有害情報規制に対して、表現者という立場から異議を唱え続けている。情報の規制がどれほど危険なことか、それによって、日本がどのように戦争へとひた走ったか、そのことを痛烈に自覚していたからだ。

戦前の教育と戦前の家庭、学校、地域のあり方は、後の利権を求める軍部や財界によって、戦争に利用されたこともあり、戦後、民主主義というアメリカ主義によって、その美学も倫理も、社会を保つための日本的システムも全否定された。

戦前を語ること、そのものが、タブーであり、戦前をわずかでも肯定すれば、非民主主義、国粋主義と批判されたのだ。

それは、多くは、バカ左翼によって牽引されたものだが、オレの『あの素晴らしい愛をもう一度』の書庫にもあるが、世界から奇跡と驚嘆された高度成長を達成できたのは、戦前の日本社会、日本精神のよき面が一気に爆発したからだ。高度成長期の入り口までは、城山が描く日本的共同体社会のよき側面がいかんなく発揮されていた。

アメリカ主義とどう互角に渡り合うか、それが当時の良識ある知識人やトップにいる人間の日本人としての「本懐」だったからだ。なぜなら、多くの同輩、先輩や後輩、知人、友人、家族を戦争で失い、その無念を生き残った人間たちで引き受けようという強い思いがあったからだ。

そこには、うまいことやって天下りしようとか、小金を溜め込もうといういやしい発想はなかった。明日の日本、100年後の日本、自分の子どもや孫たちに、同じ過ちをさせず、かつ、占領下という屈辱の政治経済体制から、真の独立を勝ち取るために、いま何をしなければならないかということに真摯だった。そして、それを、理屈ではなく、行動に実践した。それがあったからこそ、あの高度成長は達成できたといえるのだ。

これをいまのこの国の官僚組織、体制に比較してみれば、当時の実在した官僚たちが、いかに優秀で、素晴らしかったがわかる。保身と権益にしがみつき、国民の方を向かず、自分たちの立場や退職後の安定のために、ごまかしと詭弁の答弁や対応をし、いわゆる官僚言葉で、その場を凌げば、自分たちの立場は安泰としている、現在の官僚たちに、自分たちのミッションが何なのか、真摯に考えてもらいたい。

事なかれ主義、前例主義では立ち行かなくなっている現在の日本と、それによって、辛酸を嘗めている国民生活の実態をしっかり学ぶべきだろう。そして、一人の公僕として自分が成す役割とは何かを自問してもらいたい。

静岡県知事選挙で民主党が辛勝した。都議会選挙も同じような結末になることが予想されている。自公独裁政権は、鳩山代表の政治資金記載ミスを取り上げ、少しでも選挙を有利に進めようとネガティブキャンペーンを張ろうとしている。

それはそれできちんとした答弁を求める必要はある。だが、ちょっと待てよだ。次期選挙へ向けたマニュフェストづくりもままならず、この経済苦境をどう乗り越えるかの指針も示せず、敵対する政党のアラ探しをし、パッシングだけで、自公独裁政権の支持がえられるとでも思っているのか。

国を、国民を、そして、世界の中の日本をどうするのか。いかに、現在の自公独裁政権は、それを露ほども考えていないことが露呈している。これまでの過ちを反省し、国民に謝罪してこそ、生きる道があるものを、自分たちの政策実績を訴えればなどと、またぞろ反省のないことを平気でいっている。それに、国民が付いてくると思っている。

結局、麻生が自ら衆議院を解散するチャンスはなくなった。任期満了後の選挙が濃厚になっている。それも、自公独裁が少しでも時間をかせぎ、その間に小沢、鳩山の政治献金疑惑、記載ミスをつっこみ点数を稼ごうと考えているからだ。マニュフェストづくりの時間を稼ごうとしているから。

つまり、すべては自公独裁政権を維持するためだけの政局運営。そこには、政治経済を動かす人間の、国、国民生活を考えた、日本人としての本懐も、美学も、気骨も、ない。