秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

50肩が教えること

赤坂、吉田院のマッサージを呼ぶ。

先週末の疲れからか、酒豪編集者Rにわたすといっている企画書の進みが悪い。たいした量ではないのだが、集中できない。長雨の影響もあって、50肩が痛むからだ。となると、頼みの綱は、吉田院。このところ、レギュラーできてもらってるいるT先生に来てもらう。

やはり、梅雨時。いつもなら、Wの2時間コースを断わられることはないのだが、客待ちができていて、1時間しやできないという。入梅してから、忙しいらしい。

一頃、景気の影響で、マッサージも閑古鳥状態だったらしいのだが、さすがに、入梅して、神経痛、腰痛、頚椎の痛みなどが一気に出るこの時期は、多少金銭的な無理をしても、体をケアしておきたいという気にさせるからだろう。

普段はシップや温浴でごまかせても、スポーツで痛めた箇所や車の事故などでやったムチ打ち、古傷、加齢からくる腰や肩の痛みは、梅雨時、痛みばかりでなく、どんよりと重い圧迫感で、意欲ややる気を削ぐ。

この間のRedの誕生会でも、Oちゃんと外見とてもそうは見えない45歳のトシちゃんも、オレが50肩の話をすると、二人とも丁度40肩の痛みを抱えている。40肩、50肩は軽度なほど、長引く。まして、Oちゃんもデスクワーク。トシちゃんにあっては、オレと同じで、キャドの前に座りっぱなし、図面を読むから視神経がやられる。編集でオレが目をやられたのと同じ。

視神経の疲れは、首、肩、腰に一気にくる。単純なデータ入力でもそうなのだが、オレやトシちゃんのように、そこに何がしかの演出、意図、ねらいといったクリエートな要素が入るから、視神経を通して、脳も全開状態になる。それと、一旦、仕事に入ってしまうとなかなか抜けられない。つまり、ある一定の緊張状態をキープしないと最後までたどりつけないから、途中で中断するのができない。結果、長時間、視神経と脳細胞を酷使することになる。

若い内は、それでも強引にやりこなせるのだが、40を過ぎるとその無理がすぐに体に出る。40肩、50肩はそんなときに、無理をするなと体が警告を出しているようなものだ。しかし、そうそう体をいたわってばかりいられないのが現実。40、50になれば、若い頃以上に無理をしなくてはいけないことも出てくる。

オレは、36歳でこの世とおさらばする気だった。

どうしてだか、わからないが、それくらいしか自分の人生に時間はないと10代の始め、小学生の頃から思い込んでいた。だから、はちゃめちゃ、自分のやりたいことに執着した。

それ、無理! と人が思うことでも、周囲の換言も無視して疾走した。小中学生の頃から常に人の中心にいて、物を書いたり、役者をやってみたり、演出をやってみたり、フォークサークルをつくってみたり、文化祭などイベントなどを企画したりしたのも、自分で劇団をつくったのも、そんな気持ちがあったからだ。結果、それがすべていまの仕事につながっているのだが。

本気になれば、できないことなどない。それがオレのルールで、自分に直接、益にならないことからは、ことごとく撤退し、すべての時間を自分のやりたいことに費やしていたと思う。

その分、周囲への配慮に欠け、思うようにやれない奴への対応は、手厳しかった。できるか、できないか、にこだわり続けた。できるようになるスキルを磨くためには、どのようなプレッシャーも人に与えたし、自分も引き受けた。いい作品をつくるために、あらゆる妥協を許さない。睡眠時間がなかろうが、休みがなかろうが、金がなかろうが、関係ない。時間がないと思い込んでいるオレには、一本、一本の仕事の質を上げることが最重要課題だったのだ。

だから、36歳を過ぎたときに、はたと困った。仕事の姿勢は相変わらずだったが、まだ時間があるということに戸惑った。そして、40になる頃に大きな転機となる人との出会いや仕事に遭遇した。それに、死ぬと思われるほどの病気をした。生まれて初めて、生きたい。やり残したことを終わらせるために時間がもっと欲しいと思うようになった。

生きることに執着し、自分のやり残したことを終わらせたいということに執着するようになると、不思議と他人に対して、少しずつだがやさしくできるようになった。できるか、できないか、ではなく、そいつと一緒に仕事ができること、そいつがいることで仕事ができているのだと感謝する気持ちに変ってきたのだ。

ICUのベットでは、人は、まさに無力だ。声もまともに上げられず、医者や看護師にすべてをゆだねるしかない。自分がいままで、本気になれば、何でもできる、と確信していたものが、どれほど、傲慢で、身勝手で、過信したものだったか、痛烈に教えられたのだ。

ただ、そこに横たわることしかできない自分を自分で見たとき、自分のいままでの考え方が大きく変ったのだと思う。作品へのこだわりや作品のため、スタッフのために、と闘う姿勢やそのための自己主張はかわらないかもしれないが、言い方もふれあい方も変ったような気がする。

教えられたのは、ただ一つ、自分一人では何事もなせないということだ。

40肩、50肩の痛みは、それを再確認させるためにあるようなものだと思う。動けない、思うように肩や体が動かせないという中で、周囲の人間を信頼して、任せきる気持ち。自分の足りないところを若い連中に補ってもうらおうという謙虚さ。そのための、普段からのふれあいのあり方への配慮、気遣い。そうしたことを教えているのだ。

自分にふりかかえる、いろいろなことをそんなふうに、生きる、生き抜く糧としてとらえられれば、自分のいのちを生きることの楽しさも、自分が他者のためになすべきミッションも、自ずと見えてくる。

36歳でかっこよく人生の幕引きができなかったオレは、「一粒の麦、死なずば」を手掛かりに、いまを生きようとしているのかもしれない。

やはり、『Grnad Trino』だ。