秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

五里霧中の必殺剣法

あとで考えると、あれが自分の人生の転換期だったといえるときが人にはある。
 
おおむね、それは、物事が自分の思い通りにいかないとき、将来不安やこれからの生活が見えておらず、何か手掛かりはないかと四苦八苦し、心が不安定な時期だ。
 
五里霧中の状態だから、渦中にいる人間には、それが次の人生の入り口にあることに気づけない。長い闇と霧の道を丁寧に進めば、次は見えてくるのだが、そのためには、心得と構えがいる。
 
ひとつには、不安に負けて、自分を取り囲む状況を変えようと、無理な飛躍をしようとしないこと。不安や心配があるのに、そこから眼をそらすために、心の眼を閉じてしまいわないこと。言い訳や理屈をつくらないこと…。などなど、いろいろあるが、大方、人は、霧の中ではそうする。
 
人間だれしも、希望や夢を信じなくては、先へ進めないようにできている。とりあえずは、仮想であれ、思い込みであれ、何かの光を信じて、前へ進むしかない。そして、もし、それが失敗や裏切りに遭っても、次の糧としていくほかはないのだ。
 
オレの56年の人生の、とりわけ、20歳以後の人生は、その連続だったし、いまもひとつも変っていない。それでうまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともある。
 
オレたちの仕事のように、何事かを人々に伝え、伝えることによって、人に受け入れられることを喜びとするものは、表現というスタイルにおいても、表現を支える生活においても、常に五里霧中だ。つまり、人生すべてが五里霧中。
 
ただ、何事かを表現しようとする人間である分だけ、自分自身と正眼に太刀を構えあわなければいけない。正眼に向き合っていないと、きっと、自分の表現はいつかダメになる。と、オレはどこかで思っている。
 
いい加減なこともやるし、いい加減なことも考える。そして、いい加減な人生を歩んでいるとも思う。
 
だが、そのどこかで、ふと正眼に構え直すということをしていなければ、心の真実や自分が見失っていたものにも気づけないような気がしているのだ。
 
自分の生きていく構えがぶれる。太宰や三島のようにブレてしまうと、極端にしか、自分の人生を終えることができない。タイプにもよるが、ある種の表現者にそれはつきものの課題だと思っている。
 
そうならないためにも、五里霧中の必殺剣法がいる。
 
30代の頃から置き去りにしてきた、人の思いがオレにはたくさんある。終わってしまった、その一つひとつに何ができるか。その中で、軸として、見つめなおさなくてはいけない、思いは何なのか。それを、いま改めて考えている。
 
ブレていた構えを正すためだ。