秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

つくづく思う

昨日は、いまの事務所の管理会社のTさんがくる。現状回復工事の見積をするため。

12年に付き合いになるが、これまで一緒にメシをしたことも、酒を飲んだこともなかったが、ささやかながら、お世話になった御礼に、Redのランチに誘う。

この不景気の中、埼玉や松戸にある自分のマンションの管理維持費や上野の事務所ビルの管理費など、億単位の資産があっても、それが、いまや財務負担になっているという。その一方で、ほかのオーナーさんの物件管理などもやっているから、あれこれ気が休まらないらしい。

この12年、Tさんから聞こえてくるのは、溜息と愚痴。それでもなんとか凌いでいるのだから、まだ幸せな方だ。

これまで、いろいろな入居者を見てきているから、小規模ながら青山の一等地で足掛け14年も事務所を維持して、経費削減のためとはいえ、同じ乃木坂に住み続けるオレは、よくやってるよ、ということになるらしい。中にはとんずらした奴もいるらしい。

更新や設備の不具合でオレと合うたびに、何か感じるところがあたったらしく、「秀嶋さんは、いつも先をいってるよね」という。まだ、いまのように自転車ブームではない頃から車をやめ、自転車に乗り始め、14年前まではスーツばかりのオレのファッションがすっかり変り、仕事の質と内容も変った。

それがTさんには、新鮮に見えたらしい。Tさんなりにオレを観察していて、そう思ってもらったことはありがたいし、たまにしか会わない中、男同士の下ネタ談義から景気の話まで、あれこれ戯言をいう中で、感じた信頼関係もある。

そのことをしみじみありがたいと思う。

Tさんと別れ、もう20年の付き合いになるMからも久々に電話をもらい、渋谷で用事を片付けた後、表参道のスパイラルカフェで会う。

中堅新興の印刷会社で役員をやっていたが、昔からの夢で地元の金沢でアコーステックフォークのライブハウスがやりたいと言い出して、地元に帰った奴。オレと同じ歳ということもあり、最初は、うちの印刷物を頼んでいたのだが、そのうち、奴の会社の仕事をやるようになり、いつか飲み仲間から親友になっていた。

うちの会社の社外役員。株も持ってくれているし、融資の保証人になってくたりもした。世話のかけっぱなしなのだが、オレのあやふやで、脳天気に見える生き方が気に入ってくれている。オレもサラリーマン然としてなかった奴の人柄にひかれた。

もともと写真家になりたかった男が生活のために仕事を始め、前社長に拾われて役員にまで上り詰めた奴。恩義や情に弱いから、その社長にある意味尽くしてきたと思う。だが、同時に、自分の本来の性分や生き方を貫きたかったのだ。

久しぶりに会う奴は、いかにも地方の芸術家といった雰囲気になっている。ライブハウスの経営は大変だし、いまも前の会社の顧問としての収入がなくてはやっていけない。生活が変ったことで、かみさんがうつ病にもなってしまい、一緒にライブハウスを手伝うこともできなくなったらしい。

だが、オレは、地方芸術家のようになった奴の姿を見て、よかったと思った。

人が生きて、所帯を持ち、しかし、その中でも自分の夢や自分らしい生活を続けようとするれば、いろいろな困難や予想しない出来事に遭遇する。だが、その中でも、自分の生き方を貫こうとする姿は、やはり、気持ちがいいし、きれいだ。

もちろん、ときには要領よく、うまく立ち回るということもするのが人間だから、そこに計算や打算、そして欲があって当然。しかし、心の根っ子に、そうした確かな意志があれば、人はその人を美しいと想えるし、また、会いたいと思う。

オレの仕事の話を聴きながら、「相変らず、脳天気に、何も考えずに生きてるよな」と、大笑いする奴の姿に、こいつと友だちになれてよかったなと、つくづく思う。