秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

正義と愛

テレビ朝日の『刑事一代』が高視聴率をとった。

敗戦後、警察官を拝命し、戦後の重大事件のほとんどに関ってきた平塚八兵衛という刑事の姿を通して、昭和という時代の世相風俗、高度成長という繁栄へ向かう時代の中で、陽を浴びることなく、犯罪を冒した人間たちを描いている。

オレのオヤジも、丁度同じ時代、同じように警察官を拝命し、昭和55年に56歳で退官した。『あの素晴らしい』の書庫には、その時代、オレがオヤジや家族の姿を通して、感じた高度成長期の光と影を描いている。

戦後日本の光と影の中に、今日のいろいろな政治、経済、社会、教育の問題の根源が潜んでいる。オレは、そう考えている。それゆえに、敗戦直後から高度成長へと向かう時代、高度成長によって、金、物優先になっていた時代、そして、消費文化の中で、失われていった日本人の生活意識や日常の作法を検証することが、いま何よりも重要だと考えている人間だ。『あの素晴らしい』を綴ったのも、その思いがあってのことだった。

テレビということもあり、敗戦後の人々の心の傷が生んだ、冷徹で、陰惨な事件の背後にある闇の部分を深くえぐっているとは言い切れないが、あの時代の空気を丹念に描こうとしている姿勢は、昨今の軽薄ドラマにはない、重厚さに溢れていた。それが高視聴率をとったひとつの要因だろう。

しかし、それは、こうしたしっかりした根拠に立ったドラマ、人間を描くことに真摯なドラマがいかに、少なくなっているかを証明している。戦後、そして、今日に至る日本人の生活、日常の作法から、何か自分たちのいまに反映できる知恵はないかを、人々が、いかに求めているかを示している。

平塚という男が持っていた、頑ななこだわり、生き方の美学といってもいい強固な姿勢、警察官という職業ゆえに、法に照らした正義を追求しながら、犯罪者も一人の人間であるという慈愛を失わない姿は、平塚に限ったことではなく、戦前の教育と生活体験、戦争体験をしてきた、当時の多くの大人たちに共通のものだった。

いまの時代、正義ばやり。しかし、それは、自分だけの正義の押し売りであることは少なくない。他者の痛みを知った上での正義には、必ず、愛がある。愛は、だから、ときには、愛をそそぐ人間本人にも、辛い傷や試練を与える。しかし、それを引き受けても、愛情をこめて、正義を語るがゆえに、人は、そこに共感や共鳴を感じられるのだ。

ドラマのラスト近く、平塚が自供に追い込んだ男が、刑務所の中で、自分の犯した罪を理解し、まっとうな感性を回復する。監房の中にあっても、平塚は、その不遇で家族の愛に恵まれなかった男に差し入れをし、心を砕く。だが、死刑は執行される。真人間になって死ぬ。そのことに喜びをみつけ、男は死刑を受け入れて、死ぬ。死刑執行を知って、平塚は涙し、退官後、親戚縁者から見放され、土饅頭だけの墓に犬、猫のように埋葬されている男の墓の前で、土に顔をすりつけて号泣する。

正義とは、こういうことだ。人を罰するだけの正義に愛は生まれない。どのような人間にもそれぞれの正義がある。それをぶつけあうだけでは、愛は生まれない。律するところは律しながらも、自分の正義を削り、相手の正義を受け入れる姿に、愛はあるのだ。

それが失われているところに、いまの世の中、社会の息苦しさがある。人々がつながりあえない壁がある。