秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

沈まぬ太陽と日本人の矜持

昨日の夜、映画興行的には成功とはいえなかった『沈まぬ太陽』が地上波に流れた。
 
日本航空内の不当人事、不当労働行為、組合弾圧、そして、半官のぬるま湯体制の中、上層部を中心に広がっていた贈収賄や横領…。その果てに起こった、御巣鷹山日航機墜落事故。企業のコンプライアンスがうるさく言われる以前の高度成長期の後半、多くの大企業も多少の差はあれ、抱えていた企業問題に深く切り込んだ原作。
 
運輸省(現国土交通省)や当時の政界など権力も絡み、映画興行会社とは株保有をはじめ、制作面でもいろいろと付き合いの深い、日航を舞台にした日航批判の映画化は難しいとされてきた。御巣鷹の事故を扱う上では、遺族感情への配慮も必要だった。
 
多くの映画人がある意味、地雷を踏むまいと腰が引けていた中、渡辺謙という一人の俳優の熱意が映画化まで漕ぎ着けた作品だったといっていい。
 
それは日本アカデミー賞受賞という形には結実したが、興行的には成功せずに終わったといっていいだろう。
 
ひとつには、そこに描かれている企業社会の現実があまりにリアルであり、生々しかったこと。観る者に、戦後40年の高度成長の過程で、失ってしまった日本人の矜持、自分たちの恥部を突き付けられる息苦しさがあったからに違いない。
 
豊かさの獲得が生んだ拝金主義とそのためなら、手段を選ばないという倫理の荒廃、私利私欲が政治や企業を動かすことが当り前になった現実を変えることができず、世の中はそんなものだといった、現状肯定、保身に走る麻痺感覚…。
 
それは相互扶助や他者への思いやり、やさしさといったものも失わせ、小賢しさや器用さ、計算高さが勝者と敗者を分ける世界を生んだ。そして、敗者というレッテルを貼ることで、人を排除し、建前の正義や上滑りの人権擁護が平然と跋扈する、いまという時代へつながっている。
 
山崎豊子ばかりでなく、1970年代から80年代、バブルへ向かう高度成長期、現在に至る国の存亡と破たんの危機に警鐘を鳴らした作品は、当時少なくなかった。割腹自殺した三島由紀夫もそのひとり。
 
そこの共通してあったのは、戦前の財界、軍部、政界の腐敗と保身が原点にあるという視点だった。戦後の「民主主義」によって隠ぺいはされたものの、高度成長を動かしたのは、戦前の国を破たんへと導いた、それら残党だったからだ。
 
もちろん、そうした国、企業を破たんへと導く妖怪たちと対峙した人物もいたが、この作品の主人公のように、組織や権力、もっといえば、社会システムに押しつぶされていった人物は少なくない。
 
映画として、この作品がよくつくられているかといえば、オレはそう思わない。制作には人知の及ばない苦労もあったと思う。が、しかし。監督も脚本も秀逸とは言い難い。原作に助けられた作品だ。厳しいい言い方かもしれないが、興行的に成功と呼ぶに至らなかった一つの要因には、それもあったと思う。
 
昨日、『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』が公開された。
 
サイパン島での激戦を取材したアメリカ人で、自身元海兵隊員だったドン・ジョーンズが82年に出版した原作がもとになっている。
 
そこに描かれているのは、住民のいのちを第一とし、軍人としての、日本人としての矜持を最後まで貫いた一人の日本人将校への尊敬と畏怖だ。決して、無駄な死を遂げないという覚悟の中で、弾薬も食料もない中、与えれた責務を人間として全うしようとした男の物語だ。
 
「物資もない中、あなたが立てた作戦に私たちは苦しめられました。素晴らしい軍人です。そして、あなたは200名もの民間人のいのちを救いました…」。軍人として、人間として、敵将校でありながら、その矜持に尊敬を現わす米軍将校に、自ら武装解除した日本人将校はいう。
 
「私は、自分の職務を必死にやっただけにすぎません。それに、この島でそれ以上の人々のいのちを奪っています。私は、この島で、何一つ褒められることはしていません」。
 
私利私欲と保身は、いのちをいくらでも無駄に死なせることができる。しかし、日本人にしかない、日本人の矜持、誇りは、世界の人の心を動かすことができる。自決や自爆などというおろかな選択ではなく、いのちを生き延びる道へ導くことができる。
 
渡辺謙が映画を通して、一貫して伝えようとしているメッセージもそこにある。