秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

梅ちゃん先生のおとぼけ

NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」に、はまっているw このドラマ、演出がすこぶる丁寧。それでいて、台本のセリフ運び、テンポ、展開がいい。セリフに時代のリアリティがある。
 
丁度、オレと年齢が前後の世代が子ども時代の話。ドラマを見ていると、ああ、うちでもこんな会話してたな…とか、近所のおばさんにいたいた、こういう人…とか、そうだなよな、団地の2DKってこんな感じだった、大学病院はこんな雰囲気だったし、町の診療所もこんなつくりだった…など、実際にその時代を生きていた人間にとって、頷けるところが多いのだ。
 
それだけ、丁寧に時代考証をし、かつ、当時の人間をよく調べ、大人たちの会話を巧みに拾っている。
 
実は、こうした昭和物というのは、本来、好きではない。「三丁目の夕日」シリーズは駄作中の駄作だと思っている。昭和レトロがもてはやされている状況には危うささえ感じてしまう。何度か、このブログでもふれているが、昭和などという時代、単なる郷愁で振り返れるほど、単純でもなかったし、清く美しいものでもなかったのだ。
 
昭和の現実や実相というものをとらえないで、ただ、あの頃はよかった…といった振り返りは何も生まないし、いまに続く多くの政治的課題、社会的な問題を見失わせる。だから、あの時代を美化し、いまによみがえらせようなどいうのは無知過ぎる。それは、あの時代の実相を知らない無学さであり、いまという時代の実相をわきまえない愚かさの証だ。

それでも、オレがつい「梅ちゃん先生」に見入ってしまうのは、たぶん、昭和の高度成長期に入る時代を描きながら、それが郷愁や押し付け、かつ、時代を知らない無知さが生む美化にもなっていないからだ。
 
実に、淡々と、飄々とあの時代を描いている。歪曲も美化もなく、ある時代のある家族の話。そこにとどまっていることが気持ちいい。家族はこうあるべきとも、親子や夫婦はこうあるべきとも、また、お涙頂戴の人情噺にもなっていない。登場人物すべての造形がとぼけている。それがいい。
 
被災地にいって、家を流された方、家族を失った人、原発の爆発を予感し、死を覚悟した人…そして、地域の復興や新生のために、自分にできることを…と取り組んでいるいろいろな人に会った。そして、そうした人たちと友、同志、仲間といえる関係になった。それができたのは、みなが一応に、重い荷を抱えながら、悲しみだけを表に出すこともなく、飄々とぼけた人たちだったからだ。

オレが子ども時代にみた、大人たちも多くがとぼけていた。敗戦から10年経つか経たない時代。まだ、人の心に戦争の傷があり、生活は貧しく、格差もあった。米軍の起こす事件もあれば、基地問題もあるが、また色恋沙汰もあった。そうしたものが、あっという間に近所に伝わるような時代…しかし、人々は実に、飄々ととぼけていた。

死を現実のものとし、喪失を深く経験し、人の死の姿そのものを眼の前にすると、人は傷も負う。だが、また、その傷を真摯には見えない何かでふさごうとするのかもしれない。人は、どのような出来事に遭遇しても、また、いま、今日、そして明日を生きなくていけない。だから、淡々と、飄々と、そして、おとぼけながら、笑いをつくりながら、重さを軽くしようと生きているのだ。