秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

夢の記憶

夢が現実になる。

子どもの頃はよくそれが起きた。初めていった場所、初めて出会った人。なのに、あ、この風景は夢で見たことがある、この人と会ったことがある、そんなことが始終だった。

飛ぶ夢もよく見た。そんな経験などあるはずもないのに、空を飛ぶ鳥の眼のように、高度成長期の木造の家並みや木の電信柱が立つ町の風景を見ることができた。コツがあって、両手をうまい具合に風に乗せないと、急激に高度が落ちる。やばい、落下する。そこで目が覚めることもあれば、うまく風をつかまえて、再び上昇気流に乗れることもあった。

おふくろに何かでそんな夢の話をしたとき、人は、前世からその人や場所と出会うようにできているのよと教えられた。家族でさえ、生前のその前の世界では、夫婦が兄妹であったり、兄妹が夫婦であったりしたのだともいわれた。家族になるべくして、なっているのだと…。空を飛ぶ夢は、解釈できなかったが。

ある場所に偶然住み、ある人たちと出会い、知人となり、馴染みとなり、その中から友人や親友、恋人や夫婦となっていくというのは、宿生からの因縁なのだといわれたのだ。だから、自分が生活する場やそこでの出会いを大切にしなさいと、おふくろは言いたかったのだと思う。

しかし、人は、ついその貴重な出会いをないがしろにする。ないがしろにする気はなくても、自分のわがまま、都合、自分のキャパの足りなさから、せっかくの出会いを大切にできない。出会い、その人、その場が与えられていることへの感謝を見失う。

昨日、酒の残る状態で参加したボランティアの勉強会で、Tさんにふとこんなことを言われた。

Tさんは、数年前にTAテレビでえらいさんをしているディレクターの旦那さんを突然なくした。心筋梗塞。数秒のことだったという。そのTさんは、オレのような業界人間の生活を、だからよく知っている。旦那が帰宅しなかろうが、すれ違いの生活だろうが、女遊びをしようが、それも旦那の仕事の内と、それもよしと受け入れてきた。

互いにじっくり話し合うこともなかったらしい。元気で、ドラマをつくってい旦那がある日突然いなくなるということをまったく予想せず、いつか、定年退職して、ゆっくり二人の時間がつくれればと安心していたのだ。

旦那がなくなってみて、もっといろいろな話、相手への感謝を伝えておけばよかったとTさんは、悔いている。だから、オレにも、別の生活をしているが、オレの会社の経理も手伝い、息子の面倒を一人でみているかみさんに感謝の言葉をいっているのかと、問われたのだ。

失ってみて、わかる人の貴重さ、ありがたさがある。

確かに、かみさんだけではないが、自分が実現したい夢や作品にばかり執着しているオレは、周囲でオレを支えてくれている人々、とりわけ、家族への感謝が足りない人間だと思う。だから、自分の親を含め、かみさんにも、息子にも、かみさんの親にも、深いつながりをもった女性にも、その親にも、辛い思いをさせてしまった。

身近な生活の中で出会う出会いと人を大切しろと語りつつ、実は、オレ自身がそれがよくできていない。それを改めて指摘されて、ずしりと来た。人としてのミッションには燃えても、身近な人々の幸せにために、何一つできていない自分を突きつけられたのだ。

物書きや表現者というのは、すべてではないが、ある種のタイプは、他者を犠牲にしなければ表現者足りない、悲惨なものだ。他人に迷惑や毒を撒き散らし、表現という我に囚われ続けなければ、物を生み出せないという人間がいる。

コレドで飲んだ夜、オレが太宰治檀一雄を批判したのは、そんな思いがあったからだ。

檀一雄出世作に『火宅の人』という作品がある。これは、仏教の法華経の中にある、「三車火宅の喩」に出て来る話を下敷きにしてある。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)が徘徊し、死体を貪る鬼畜がいる家は、獣の糞尿や汚濁に塗れている。しかし、それとも知らず、子どもたちは玩具に夢中になって、あそんでいる。すると、そこに火の手が上がり、子どもたちは炎に焼かれようとしている。それでも、子どもたちは、遊びに夢中で、身に危険が迫っていることに気づかない。

それを見た父は、子どもたちを救おうと危険を知らせるが、子どもたちは父親の顔をちらみはするが、その声に耳を傾けようとはしない。そこで、父は、子どもたちが驚くような玩具が家の外にあるぞと声をかける。羊の車、鹿の車、牛の車の三車が用意していあるというのだ。それを聞いて子どもたちは、いま遊んでいる玩具より、それらに興味を惹かれ、一つだけの狭い門から飛び出してくる。

子どもとは、享楽的な快楽に身をゆだねている、凡夫のこと。つまり、オレたち俗世に執着し、苦悩に包まれた人間だ。父とは、仏。仏は、享楽に身を委ね、それゆえに苦悩という炎に包まれていると気づかない人間たちのために、方便を使って、危険から抜けさせ、仏への道へ歩ませようとするという話。

檀は、火に焼かれる煩悩の世界から出ていけない、子どもの姿に自分を投影した。そうした人生を檀が歩んでいたからだ。

表現に執着することと、身近な人々の幸せと安寧を願うことは、どこかで矛盾する。その矛盾を生きることは、実は辛い。ときには、享楽に身を任せる弱さがあるからこそ、つまり、火宅にいるからこそ、描ける世界がある。しかし、そこに踏みとどまって、それを表現の糧にするのは、人間的には、卑怯なこと。我執に囚われていることになる。

そんな不安定な精神を生きるから、飛ぶ夢を見るのだ。それを知ったのは、やはり、精神的に歪になっている時期、山田太一が書いた、『飛ぶ夢をしばらく見ない』を読んだときだった。

家族の幸せを一番に考え、生きたおふくろには、だから、オレの飛ぶ夢の解釈はできなかった。そのときから、オレは、火宅にいたのかもしれない。