秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人は幸せになるために生まれている

自主制作作品の企画打ち合わせの後、サルバトーレへ。

今期は、自主制作作品を3本以上は、制作する計画。あれこれ課題や至難なこともあるのだが、今期後半と来期へ向けた布石。それにあわせて、会社の体制も見直そうとしている。

企画の話から、仕事、会社のこれから、そして、かみさん、息子、老いた親、女性の話、色恋の話題など、とりとめもなく、ブレーンスタッフと話をしていたら、

「人は幸せになるために、生まれてきている。幸せになるために、仕事をし、幸せになるために、人と出会い、異性と出会い、幸せになるために、結婚し、子どもを生み、育てるのだ。その当たり前のことが、当たり前にできない、家庭、地域、社会、国のあり方が問題だよな」

という話題になる。

丁度、いま酒豪編集者Rと進めている書籍の企画をふと思い出す。オレがいま本にしたいと願っている内容は、まさに、それだと改めて思い当たったのだ。

人が幸せになるために生きている。それが崩れているからこそ、オレは、人権や社会問題を題材とした映画や映像を制作し続け、沖縄、広島、長崎、アメリカの無差別爆撃にこだわり続けてきた。海外の紛争地域での救援活動を応援している。そして、いま格差を生み、生活苦に苦しむ人々を生んでいる社会に怒ってきた。

そうした思いを小説にも、映画にもしようとし、社会評論の本を出そうとしてもている。

オレにできることは、たかがしれているが、だれかが、いろいろな生活や仕事の場面で、そうした声をあげ、メッセージを形にしなければ、社会は、国は、世界は変らないと信じ続けている。

きれい事の正義ではなく、矛盾した社会の現実や不条理な人間関係の中にしか、人の生はないにせよ、そうした現実に立ち向かう上での、心の拠り所となる何かが人にはなくてはならない。

オレはそれを宗教的な慈悲、慈愛の精神や人類愛というヒューマニズムに求めているが、それは、聖書や仏典の中、哲学書、人文学の中だけではなく、オレたちが普段意識せず、しかし、オレたちの生活規範となるものの中に歴然とあるのだ。

「いまのオレたちの日常が歪んでいるのは、日本国憲法がその精神通りに実現されていないからですよ。憲法にある条文通りの国、社会、家庭、企業になってないからですよ」

いつか、オレは、そう語っていた。

改めていうまでもないが、憲法は、権力から人民に与えられたものではない。治世者や権力を縛るために、人民の権利を守るために、人民によって生まれたものだ。それが民主主義の根幹をつくっている。

バカ右翼は、あれはアメリカから押し付けられたものだの、一部の左翼が考えたものといった歴史的事実を捻じ曲げた批判をするが、どういう経緯で草案が作成されたにせよ、当時の日本人がそれをわが国の憲法として承認したのだ。そこには、見事に国民の意志が反映されている。

普段、ほとんどの人が意識はしないだろうが、こてこての理想社会を盛り込んだのが日本国憲法だ。

オレは、バカ左翼のように、憲法の条文を一切さわるなということはいわない。しかし、まずは、憲法にある国を、一度でも実現することが先だ。憲法が現行の社会、世界情勢にそぐわない部分があれば、それは、アメリ憲法における修正条項のように、憲法そのものにふれなくても、対応できる。また、関連する法案によって、時代性を打ち出すことはできる。

まずは、この国の、この国に生きる人々の基軸として、憲法を再確認し、それと現実社会のズレ、歪みを糾すことが先のはずなのだ。

人は幸せになるために、生まれている。だれも不幸になりたいと思って、生を受けたのではない。そして、人は誰もが幸せになる権利を持っている。

その当たり前のことを、当たり前に実現できる家庭、地域、社会、国をつくることだ。それを伝えるのに、計算や打算、策略は果たして必要なのか。

方便はいるにせよ、真摯なメッセージは、真摯な語り口でしか伝わらない。