秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

のりしろの時代 -それから その次へ-

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ファッションは人の心をあらわします その人の生き方や考え方、毎日をどう過ごしているかまで

人に伝えてしまいます


ぜいたくなものでも そうではないものでも 

別にきれいで 上品な いかにもお金をかけたというものではなくとも 

自分はこうありたいという姿を表現するために 服装を気遣うというのは大切なことだと思います

そうした人には なにがしか 輝きが生まれるような気がするのです

形からというのは おバカのすることのようにいわれますけど

人は形から 変わることもできるのです


また 逆に

生活を変えることで 気持ちが変わり ファッションも含め生活のスタイルが変わるということも

あると思います


6年ほど前に車をやめました


それはぼくの人生の大きな転換でした

なぜなら 車もファッションのひとつだからです


10代のときは 憧れのスカイラインやブルーバードには乗れず

それでも 当時 こだわりの名車だったスバル1300Gに乗り

事務所を開設して 少し先が見えた頃には 憧れのジャーガーには乗れず

それでも 当時 ポルシェと共同開発で誕生したばかりの

むちゃ 速い ボルボ850GLTに乗り

が、しかし

わずか3年で10万キロも走り、廃車となり それまで避けていたBMWに乗り換え

酒とバラの日々の中で事故をやり ディーラーに「キミは遅い車じゃなきゃダメ!」といわれ

そのくせ 持ってきたのが 特別仕様の国内に数台しかないという535の改造中古車で

これが ガソリンくうけど 

頑強で めちゃ 足回りがよく 居住性グンバツで すげぇ かっくよく

が、しかし

やはり 8万キロ乗ったくらいで調子が悪くなり

折りしも不況の中 事務所は火の車で(いまでもそうだが…)

悪いことは 重なるもので

「これで死ぬ…」という病魔にもおそわれ

奇跡的に助かると おれって 生き方 おかしくねぇ?と

やっと これまでのおのれの愚行をふりかえり

だったら、車やめるべと

経済的な理由もあって やめたのです


車をやめるというのは ぼくにとっては 生き方を変える 生活のあり方を変えるのと

同じことでした

ある意味、それまでは自分の好きな車に乗るために働き

好きな車に乗れる生活をすることがライフスタイルになっていたと思います

が、しかし

やはり その生き方はおかしいと気づいたのです


で、そのときから、自転車に乗るようにりました

すると すごいことが起きました


車だと いままで素通りしていたり 

気にかかっても 駐車が面倒で立ち寄ることのできなかった店やスポットに

難なく立ち寄ることができるではないですか

自転車をとめて ベンチにすわり 周囲の木々の季節の変化を感じることも

走る風の中で

季節の花々の香りや 道行人の表情を感じ

服装の変化に気温の変化やそのときのファッションの動向まで知ることができるのです

ついには 料理好きのぼくは 自分でお弁当をこしらえ

近くのイチョウ並木までいって 一人お手製のお弁当を食べることに

幸せを感じられる ヘンな人になっていました


ガソリンという資源を消費し 二酸化炭素を振りまき

運転のストレスにイライラし 運動不足になることで また イライラする

渋滞すれば 打ち合わせに間に合うかとハラハラし

駐車場代や高速代の支払いに追われる…


よく考えれば どうしても車がなくてはという生活なのど 本当はないのです

どうしても携帯電話がなければという生活がないように


ぼくらはいままで 何かを足し算する生き方だけをしてきたような気がします

高度成長から消費社会、そして成熟した資本社会へと進むうちに

ぼくたちは 幸せの尺度を足し算の中だけでしか 考えられなくなっているのです


でも

自転車や徒歩で 目的地を目指すようになると 引き算の中にも幸せが実感できることに気づきます

そして、それが これまで車がファッションだと思っていた足し算のかっこよさから

自転車で街を走るって かっこよくねぇと

引き算のかっこよさに目覚めていくのです


ぼくは思うのだけれど

人は生き方や自分の生活のスタイルを見直そうという心が芽生えてくると

不思議なことにその外見や生活習慣まで変わって行くのです

いろいろな人生の節目は 

それを機会にいろいろなことを見直し、点検し

それまでの自分の生き方、考え方では思い及ばなかった 

新しいステージでの それから、その次への人生を教えられているような気がするのです


それに気づける心があれば


陽の輝きと暴風雨とは 同じ空の 違った表情にすぎない

私は人生を暗いと思うときも 苦しいと思うときも

決して 人生をののしるまい


というヘルマン・ヘッセの言葉の意味が

実感のあるものに変わってきます


いま ぼくも含め 多くの人が 不況の嵐に巻き込まれ

暗く 大変な毎日を過ごしていると思います

年の瀬も近づいて これからの生活や未来に 大きな不安を抱えてしまっています

それはもちろん 

格差をよしとして 弱者を生んだ

政治の責任もあるし 企業のあり方にも問題があります

それはそれで 糾弾していかなくてはいけないことだけど


それを悲観するだけでなく

これを機会に 次の新しい生き方や生活のあり方

もっと大げさに言えば

自分の人生や生き方のデザインを変えてみてはどうなのでしょう


ひとりでできないことは これまでの人とのかかわり方を考えなおし

ひとりでできないことは いろいろな新しい人に相談し

ひとりでできないことは だれかと力を合わせてやってみる

それは 恥かしいことでも みっともないことでもありません

それどころか 壁をこわせば 

自分はひとりじゃないという安心をえられることにもつながります


いまは苦しいけれど 新しい価値観が生まれ これまでとは違った社会が生まれようとする前の

のりしろみたいな時代だと、ぼくは思っているのです


きっとキミにもいいことがあるよ

だから 決して 自分の人生を投げ出してはいけない


樹海や東尋坊で自殺しようとする人を救おうとするボランティアの方たちの言葉は

きれいごとのように聞こえるかもしれないけれど


いわば 自分の生き方のデザインを 恥かしがらず

勇気を出して

変えてみようよ

と、ぼくには聞こえるときがあるのです


写真はぼくの愛車です