秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不思議体験 其の五

ぼくは ずいぶん 歩きましたよ

早く帰ろう 早くぼくのあの家へたどり着こう

薄ボンヤリした夕闇と競い合うようにして ぼくは 歩きました

気ばかりあせって なぜか ぼくのあの家は とても遠くにあったんです

ぼくは 歩き続けました すいぶん歩いたんですよ

家へ帰る道なのに ぼくは とても重っ苦しい気持で いっぱいだったんです

しかられるんじゃないだろうか 家に入れてもらえないんじゃないだろうか

遊びつかれたぼくの頭の中は そんな心もとなさで いっぱいだったんです

辺りのわびしい家並みが 夜のとばりに覆われそうになるころには

ぼくは もう泣き出しそうになっていました

早く帰りたい 早く家にたどり着きたい

ぼくは 人影もまばらになってしまった道を ひとりぽっちで歩いていました

夜の暗さの深まりに ぼくは もう ぼくのあの家へは帰れないかもしれない

そんな不安が追いうちをかけていたんです

家々の夕げの灯火がポツン ポツンと浮び上がるようになっても

ぼくのあの家は まだ遠くにあったんです

ぼくは 駆け出そうかと思いました

でも そんなことをすれば いまにも何もかもが壊れてなくなってしまうような気がしたんです

暗い空の白さの中に あの見慣れた木造平屋の家々の集まりが 影絵のように

ぼくのうるんだ視界に入ってきたとき

ぼくは いつか 駆け出していました

運動会のときより 夢中でかけていたんです

ぼくは 何か叫びそうになりました

でも それは 声にしようとして どうしても声にならないものだったんです

ぼくのあの家は もうすぐそこに見えているのに

ぼくは それでも必死にかけていました

ぼくのあの家のたたずまいを もう手に取れるところにいたのに

ぼくは もう 泣きじゃくっていたんです

でも

そこは

まじかに見るその家は

見たこともない 知らない家だったんです…

そうなんです

ぼくは いつか家からずっと遠くへ

心もとないほど遠くへ

引き返すこともできないほど遠くへ

来てしましっていたんです

そうなんです

それでも ぼくは ずいぶん歩いたんですよ

ぼくのあの家の方角へ ずいぶん歩いたんですよ


ええ

家路ですよ

とぼとぼ歩いたあの帰り道ですよ

そして 夕暮れだったんです

もちろん 舗装などされていない 雑草と小石の土ぼこりの道ですよ

雨がふれば 泥と水たまりでいっぱいの

あの歩きなれた道ですよ…


(秀嶋賢人・作 戯曲『覚書』より)