秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

オルフェ

小学校2年でクラスからスポイルされたぼくの心の行き場は、映画だった。

それまでカバンを放り出し、裏の自動車試験場跡の原っぱでピッチャーとして当番していたぼくは、スポ

イルされて以来、学校から帰ると仲間と離れ、一人家の中で遊んだ。

姉は高学年で低学年のぼくより帰宅時間が遅かった。母は、あるリベラルな宗教団体の活動に熱心で、夕

方近くならないと帰って来ない。だれもいない時間、ぼくは、使い古しの乾電池を戦国時代の武士に見立

て、爪楊枝に新聞の折込チラシでつくった旗をつけ、それを乾電池にセロテープで撒きつけ、関が原の合

ごっこのようなことを一人でやっていた。それがあまりおもしろく、姉や母が帰ってからも続けてい

た。後に、姉が、「あんたは、子どもの頃、いつも一人ごとを言って遊んでいた」というのは事実だ。一

人遊びしかできなかったのだ。

しかし、ある日、ぼくは禁断の遊びを覚えてしまった。

テレビ草創期の時代、テレビは夜、家族みんなで見るものだった。なぜだかわからないが、昼間テレビを

見ていいのは土曜日や日曜日、祭日など家族がいるときで、だれもいない平日の昼間、テレビを付けるこ

とはいけないことだと思っていた。それほど、テレビはまだ、ハレのもので、日常生活と深く結び付くも

のではなかったのだと思う。当時、どこの家にもテレビには劇場の緞帳のようなえらそうなテレビかけが

あって、テレビを見るときは、その緞帳になっているテレビかけをおもむろにとるところから演劇的に

始まっていたのだ。

そんなぼくが、自宅でやることもなく、いけないこととは思いながら、テレビのスイッチを入れてしまっ

た。ピッチャーの時代にはそんな時間に自宅にいるわけもなく、テレビを見る時間ではなかった。真空管

式のテレビ画面からぼんやり浮かび上がったのは、なんと白黒の映画だった。

テレビで劇場映画が見れることをぼくはそのとき初めて知った。「ライオン奥様劇場」だった。確か、

毎日午後2時くらいから放送されていたと思う。

何気に見た最初の映画は、「オルフェ」だった。主人公が鏡の世界に入っていくとき、部屋にある大きな

立ち見の鏡の前で、前に習いの両手を上げたしぐさで、入っていく。鏡の表面はまるで水面のように波立

ち異空間へと主人公を導いていく。それを見た瞬間、ぼくは何かに打たれようになり、その幻想的な世界

にのめりこんでしまった。中学生になる頃まで、ぼくは何度か鏡の中に入ろうとし、いつもできなかっ

た。しかし、鏡の世界があることを疑う気持ちは少しも沸かず、それが結果的にシューレアリズムやシン

ボリズムの世界へ強い関心を抱かせる結果となった。

その後に強烈な印象を残したのは、「石の花」だった。オルフェもそうだが、ロシア映画の「石の花」も

名作中の名作、名画である。子どもの頃、クラスからスポイルされたおかげで、ぼくは夢想や想像の世界

に生きる楽しさを知り、その上、名画といわれるものをそれが名画とも知らず見続けていた。

大学に入り、友人たちと演劇はもちろんだが、映画の話になったとき、友人たちが古典的と言ってもいい

名作映画を小学校低学年で見て、細かく記憶しているぼくの記憶力に驚いたことがある。第2外国語のロ

シア語の講義で、やはり「石の花」を紹介した講師が、それを知っているぼくに感動していた。しかし、

ぼくが小学校2年でその映画を見たことは話さなかった。ロシア語が多少できたので、それ以上期待され

のがいやだったのだ。

外人部隊」「第三の男」「カサブランカ」といった映画を、だからぼくは、同世代の仲間が夢中になる

以前から知っていた。映画の世界に入り込むことで、ひとりぼっちの寂しさを紛らそうとしていた。しか

し、結果的にはそれがぼくのそれからの人生や生き方、生きていく上でのもののとらえ方を教えてくれた

と思う。ぼくは映画オタクでもなく、片っ端から映画を見てそれを評論するような人間でもなく、自分が

見たいと思う映画しか見ない人間だ。それに、自分自身、映画や映像の世界の仕事をしているとなかなか

継続的に映画を見続けることが難しい。しかし、映画が人を救い、癒す力があることは確信している。

映画の力を信じている。最近、そういうぼくの期待にこたえてくれる映画は実に少ない。

最近といっても数年前の映画だが、「チョコレート」はよかった。

いまハリウッドでリメークされているが、韓国映画の「イルマーレ」はすばらしかった。

いづれもぼくの人生の岐路で、ぼくをなぐさめてくれた映画だ。そして、愛や癒しを描きながら、その背

後に、愛や癒しが人を裏切り、傷つけるいかがわしいものであるという目を作り手がしっかり持ってい

る。小学校2年のそのときの体験のせいなのか、ぼくはいまでもゆるい映画、話題性を追った映画、作り

手の自己満足が覗く映画が嫌いだ。それは映画で人が感動する、震えるという体験を子どものときにして

しまったためだと思う。

以来、ぼくは、小学校2年で、幻想の中のオルフェを探し続ける旅に出る。