秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

映画のこと2

映画を観ること、本を読むこと、音楽を聴くこと、そして、テレビを見ること。

この四つのことに、父も母も驚くほど寛容だった。

小学校の低学年時代、ひどく成績が悪くても、その後、転校した北九州の門司の片田舎の小学校で、担任

教師から、「この子は、小学校4年生だが、学力は小学校2年生程度しかない」と指摘されたからも、この

四つをやめろと言われたことはない。


もちろん、あまりに成績が悪かったから、ちょっとがんばれると急速に成績は上がる。下がないのだか

ら、上がるしかない。負けん気の強い姉は、幼い頃から必死で勉強していたが、ぼくに対しては、成績は

普通でいいという家だった。

しかし、あれよあれよと成績は上がり、かつてぼくが六本松にいたときに憧れた転校生並に成績はよくな

ってしまった。まして、同じ転校生仲間とつるんで、勉強会をやり、ライバル同士で切磋琢磨するように

なった。きっと、地元の連中からすれば、やな奴らだったろうと思う。大人びた、勉強のできる奴ほど鼻

につくものはない。

卒業も近づいたある日、ぼくは、地元の連中に取り囲まれ、ボコボコにされた。小学2年生のとき、クラ

スからスポイルされて以来だった。

ぼくは、味方になる人間には強く支持されるけど、敵はいつも多かった。それは、ぼくの性格的な欠陥だ

ろうと思う。小学校2年のときも、そのときも、ぼくはなんとか、その挫折を乗り切ったが、反省の自覚

もあったのだ。

ただ、小学2年のときと違い、屈辱的だったが、成績がよいこと、教師の信頼が厚かったこと、転校生仲

間やそれを支持していた地元のまじめな子たちがいたこと、そして、ちょっと上級生や下級生の女の子に

もてていたことが、ぼくの自尊心を救った。


余談だが、ぼくは、いじめに関する教育作品をずいぶん創っている。それは、自分自身が小学生時代にス

ポイルされた体験があるからだ。同時に、好き嫌いが激しく、どうしても好きになれない奴にひどい仕打

ちをしてしまう弱い面があることを自覚しているからなのだ。人は、いつでも、いじめる側、いじめられ

る側になれる。そして、それをはやし、傍観している連中の表情も、ぼくは目の当たりにしていた。そう

した体験が、いじめを理解させたと同時に、わずらわしい現実の人間関係から撤退できる世界、映画や

本、テレビ、音楽を求めさせたのかもしれないのだ。当時、いまのようなゲームがあったら、ぼくは優秀

なゲーマーになっていたかもしれない。


父と母がぼくの趣味に寛容だったのは、父が無類のクラシック好きだったことや映画好き、本好きだった

こと、母が高尚なものに惹かれていたことと同時に、他人とあまりうまくやれない息子の性格をよく知っ

ていたからかもしれない。

しかし、そのおかげで、ぼくは、際どい表現の映画も、本も躊躇することなく、観たり、読んだりするこ

とができるようになった。そして、少年期に見た風景やそこで出会った社会の矛盾や人間のいかがわし

さ、理不尽さ、愚かさに通じる世界と出会うたびに、人間、社会、世界とはどういうものかを考えさせら

れるようになっていった。

その最初の映画は、当時、付き合っていた女の子と行った、「ウェストサイドストーリー」「哀愁」とい

ったリバイバル映画だった。それをきっかけに、ぼくは、ニューシネマにも足を運ぶようになり、「イー

ジーライダー」「卒業」「真夜中のカーボーイ」といった作品に出会うことになったのだ…。


つづく。