秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

若者たちがいる

今回、福島、中通りを回っていると、農生産・加工業に携わる若い人たち、2代目、3代目…といった人たちが、震災後、ふるさとに戻り、稼業に就いたという人が多い。

あるいは、それまで自分がやりたいことをやらせてもらい、両親が老いて、せめてもの恩返しと震災前に帰郷し、やっと仕事にも慣れ、新しい取り組みに着手しようとして、震災が来たという人たちも少なくない。

後継者ができたからと、事業を拡大しようとして、銀行融資などをうけ、つくった施設がやられたという人もいる。以前の融資と再建のための融資、いわゆる二重債務の中で歯を食いしばっている人たちもいる。

また、逆に、震災で自宅も事業所も倒壊し、再建の目処がつかず、土地を離れた人たちもいる。
 
本当に知られていないが、中通り地震被害は地域によって惨憺たるものだったのだ。私たちのメンバーもいる国見町は役場が倒壊。多くの家屋も失われた。郡山、須賀川、白河といった地域も地震による被害が甚大だった。

地盤の問題、断層の問題が、域内においても被害の大小をつくった。

私は、震災からひと月少し、4.11のあと、中通りの郡山から須賀川、白河を回ったが、全壊、半壊の家が続く風景を目にしている。
 
そして、そこに高い線量がきた。家が倒壊し、そこに高い線量による被害とそれをもとにした風評被害が連続している。

新幹線が走り、郡山や福島といった県内でも大きな小都市と県庁所在地がある。浜通りのように多数の死傷者や原発事故による避難地域指定も受けなかった。
 
それが、中通りの現実を人々に見えにくくしている。

現実には、浪江町にも近い二本松市は避難指定地域か、それに類する地域指定を受けてもおかしくはなかったのだ。だが、相馬や南相馬へのう回路として、二本松を遮断することはできなかった。遮断すれば、県庁所在地、福島を東京から孤立させることにもなった。
 
 

 
微妙な国政の事情と微妙な地理的事情、そして、新幹線と国道4号線…。その中で、中通りは被災地の枠組みの中から取り残されている。取り残されながら、風評被害だけが激烈に襲っている。

だが、震災後、それでも、苦難にある実家を継ごうと子どもたちが帰ってきた。聞くと、その多くが10代、15代と続く家ばかりだった。

自分で終わりにはできない。苦難をあえて、引き受けて、いま福島の土に、福島の自然と格闘している若者たちがいる。

フジも「若者たち」をリメイクするなら、そんないまの若者たちを描くべきだったと強く思う。
 
そうか…。オレがつくればいいのかw

写真は、郡山市鈴木農園の鈴木さん。なめこで有名な農家だが、地元有名にんじんをつかった、ジュースもつくっている。なめこへの不信を6次化事業で乗り越えようとしている。
 
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