秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

選択

なにかしら、どこかしら、いまのままでいいわけがない。おそらく、多くの人がそう思っている。

既存の政治、マスコミ、制度やしくみ、価値。それがどうしようもなく劣化し、老朽化して、すっかり、ぼくら庶民生活の実状から遠く離れていると感じてる人も、きっと少なくない。

だけど、同時に、それらをぶちこわし、まったく新しいものを自らつくり出す力は自分たちにはない。そんなことはできないに決まってる。そう思っている人も少なくない。

そもそも、やれるという期待が多くの人にない。ほんとうは、期待して、だれかにやってもうのではなく、自らが発言し、行動し、動ける奴らをみつけ、共に動かしていくものなのだけれどね。

逆に、そこまではやれない。これまでのなにかをこわすことは、不安だ、心配だ、危険だ、やばい、こわい。そう思う人はとても多い。

変えたいけれど、当てになるものがこれといってない。頼りとなるものがない。ならば、無難な道をと、決して無難とはいえない、後戻りの選択を覚悟も決意もなく、なんとなく選ぼうとする人がじつは多いのだろう。

ぼくらの選択はじつにヘンテコリンだ。ああだことだとはいいながら、選択そのものをぼくらはしていない。

選択というのは、じつは、選択する側に力がいる。選択するための学習もいるし、選択のための筋道や多くを見て、同時に、深く探る眼も必要だ。自分自身の世界観や社会的な視点といったものも必要になる。

それがないと、なんとなく、雰囲気で、勢いで、パフォーマンスでといった本来の選択とは別ものに左右されて、ふっと手を挙げてしまうのだ。

はてさて、底の割れた、屁理屈をあたかもまともな理念のように語る人の非常識に翻弄されて、600億円もかかる衆議院選挙が異常といっていい状態で、始まるらしい。

肝心の森友、加計、国際医療大学の問題をふっとばし、北朝鮮のミサイルで明日にも戦争が起きると煽られながら

ボーダーラインの政治家たちは右往左往し、恥じることなく宗旨替えし、ここぞとばかり新党も動き出すという。保身の政治家と利に聡い、使命感のない政治集団。国民の声や生活とはまったく遠いところで、またも、下手な役者たちのつまらないパフォーマンスが始まる。

国難に直面しているというけれど、国民がそうなのではなく、国政を委託された政治家たち自身が国難を導き、危うくさせているのだ。その自覚がないから、あんなことも、こんなことも恥もてらいもなく、できてしまう。

それを許してきた、ぼくらは、さて、どんな選択をするのだろう。