秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

対話しない人たちの世界

ぼくは子どもの頃から気づいていた…。

大人たちは子どもと会話ができないこと、していないこと。していないことに気づいていないこと…そして、していると思い込んでいること。

大人の常識に従順な子どもたちは、従順でない子どもたちのことを何ひとつわかろうとしてないこと…否定でしかとらえらないこと、その先に排除しかしないこと…

その背後には、従順でないくせに、生きる場をみつけていること、みつけようとしていることへの嫉妬と深い憎悪があること…羨望があること…それが排除の原動力になっていること…

拙著「思春期のこころをつかむ会話術」(学陽書房刊)は、まさにそれを大きなテーマにした大人たちのための対話術の本だ。

北朝鮮のミサイル問題がわかりやすい。

もうこれ以上の対話は意味がない。相手に対話する気がまったくないのだから、圧力しかない。経済封鎖はもとより、武力による威圧ももっとやるべきだ…

おかしな話だ。相手もだが、こちらもまったく対話する気がないではないか。敵対する相手に自分の言い分だけを押し付けて、それを対話だといっている愚かさにまったく気づいていない。

いう事を聞かない子どもに恫喝や怒号で叱責する親と変わらない。何の対話にも、解決にもならない。

相手が信用に値するかどうかは問題ではない。対話するというのなら、相手の言い分を聞かなくてはなにも始まらない。相手の言い分は全否定で、こちらの思いに従わせるための意志表明は、対話とはいわないのだ。それは、自分の歪曲した正義を力でアピールする北朝鮮がやっていることと大差ない。

この国の政治、経済、外交はすべてこの調子だ。いや、正確にいえば、この国だけではない。多くの国が、対話といいながら、自分だけの正義を他に押し付け、相手の異なる正義を理論でなく、感情や心情で否定している。対話能力が低すぎる。

この世の中、正義で物事がうまくいった試しはない。正義で道が開けたことも、人々が平和を勝ち得たこともない。それぞれの正義がぶつかることで、人は互いを平気で傷つける。

おそらく、言葉を知らないのだ。言葉がひとつ。使える言葉も、理解できる言葉もひとつ。態度やふるまいが気に食わないと使える言葉、非難と揶揄、否定の言葉しか知らない。

ぼくは子どもの頃から気づいていた…。そんな大人やそんな大人たちに従順な子どもたちが社会や世界をダメにしていくひとりひとりなのだと…

社会に適応している、社会に受け入られていると思いながら、じつは、そうした人たちはきっとどこかで適応していない、受け入れられていない自分を知っている。

答えは簡単だ。人とまともに対話をしていないのだから…

いまという時代は、そうした人がつるんで適応しない人たちの適応した社会、世界をつくっている。