秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

偏狭な村人とfor the flag

民主主義はなにかと問われて、それに明確に答えられる人は、この国に、世界に、どれほどいるだろう。

あるいは、立憲主義とはなにかと問われて、それに確かに簡潔に答えられる人は、この国に、世界に、どれほどいるのだろう。

あるいは、憲法とはと問われて、それに答えられる人はどれぐらいの数だろう。

いや。もちろん、教義として、それに答えることのできる人は少なくはない。今回の安保関連法案を違憲とする憲法学者、法学者、歴代内閣法制局長、元最高裁裁判官までも、それには明確に発言している。

だが、それでも、自公連立政権+アルファによって、国の最高法規憲法よりも、世界情勢、国家間情勢が優先してもよいとされた、されているのは、なぜなのか。

そして、国民の半数以上の反対、また審議は尽くされていないは、8割という中で、これをよしとする国民も多数いる現実は、どうしたことなのだろう。

いうまでもない。100字以内で述べよと問われて、安保関連法案に反対な者はもとより、賛成のものも、同じ解答をするからだ。

つまり、自公の国会答弁で常にでてくる、憲法の枠組みの中で、憲法の規制の中でという言葉にあるように、だれも、民主主義をまっこうから否定せず、立憲主義にも異議をいわず、9条についても、基本的には順守をいっている。

私の言おうとしていることはこうだ。中学の公民の試験、高校の受験などなど、模範解答はだれもが知っている。そして、正解もわかっている。自公を含め、国会議員全員に試験をしたら、全員正解の解答をする。

賛成している高学歴者に試験をすれば、まちがいなく、全問正解だ。

だが、現実行動や発言になるとまるで野盗退治をいう偏狭な村人にようになる。そればかりか、野盗退治に反対する者を、この若造が!とか、村を守るためにゃ、村の掟をやぶってでも、なにもをしても許されると息巻く。

デモを真っ向から否定するのは、民主主義の成り立ちといろはも知らない、彼らが偏狭の、辺境な村人だからだ。

どうして、こうした村人の理念なき政治、おかしなことが起きているのか。かつて、私は、ひとつの言葉をHPで以下のように伝えた。

「一般に、社会が社会としての姿を保つためには、法制度や倫理観、道徳観などの社会規範によって、一定のルールが社会を構成する人々に自明のこととして理解され、認識される必要があると考えられています。しかし、見方を変えれば、これは、仮想のシステムに過ぎません。なぜなら、一定のルールという共通の幻想を皆が共有しているだけのことで、それだけでは、何ら実体を持ちえないものだからです。社会という枠組みは、本来、それほど脆弱で、社会的合意という幻想の下に、辛くも成立しているに過ぎないのです」

つまり、社会は幻想、つまり、社会的合意、国民的合意という曖昧さの上に成立しているというものだ。それを、「幻想の社会、国家、そして国境」と私は呼んだ。国境すらも、この幻想、世界的合意という曖昧さの上に成立しているものでしかない。

つまりは、一旦、解釈変更を始めれば、いかようにもなりうるものだからだ。ある村の村人たちが解釈変更をすれば、当然、周辺の村も村人たちも解釈変更をするようになる。あるべき規範、それに基づいた法は、国際法であれ、憲法であれ、自衛隊法であれ、一旦、解釈変更が始まると、際限もなく、ずぶずぶになる。

都度都度の都合と事情が、国の最高法規においてさえ、自由に変えられるとしたら、民法、刑法、少年法などなど、あらゆる法律そのものの根幹を失う。都度都度の事情や心情が優先されるということは、都度都度の都合で好きにやればいい。法治国家がその根幹を裏切れば、人々は法そのものに信頼は置かない。

つまり、この偏狭で、辺境の村人たちは、模範解答は書けても、その意味も価値も、もっといえば、尊さも理解できはいなかったということになる。いい点をとるために、そうしていただけで、現実には、有名無実だったということの証明をしただけになる。

こうしたことが起きたのは、これまで合意され、維持されていた憲法という理想、理念の旗が、理想、理念でしかなく、幻想であって、現実に有効に機能しないとする村人たちによって投げ捨てられたからなのだ。

その代わりに、星条旗を自らの掲げる旗としてしまった。まさに、For the flag
それは、国民の方を向いてはいない。国そのものを向いてはいない。

「政治は政治のためにあるのではない。政治は人のためにあるのです。国は国のためにあるのではない。国は人のためにあるのです。この根本があって初めて、人々は幻想とはいえ、社会を維持する一定のルールを幻想としてではなく、承認し、公民や公共財意識、国家への帰属意識が持てるのです」

先ほど引用した文末を私はそう締めくくった。もう10年以上も前のことだ。いまだ、この議論を続けなくてはいけない国。それほどに、私たちは、依然、村人のままなのだ。