秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

完勝も大勝もない

世の中を変える力、社会をよくするなにか…。それは、どこか遠くにあるのでも、深く、特別な知識や学習がなければ、やれないことなのではない。

まして、政治家や行政、政党、政権が実現してくれるものでもない。

世の中を変え、社会をよくする専門家などいやしない。そうした人間がどこかにいるわけでも、誰かがやってくれるわけでもないのだ。

世の中がおかしい。社会がよくない。もっといえば、制度やしくみに不具合がある。それをただ愚痴にするのか、おまかせにして、丸投げにしている自分のせいではなく、誰かのせいにして、文句や非難だけして終わらせるのか。

それだけのことなら、だれも世の中を変えることもできなければ、よくすることも、まして変えることなどできはしないだろう。

世の中に、自分は何のためにいるのか。社会で何をするためにそこにいるのか。

いつまでも自分の努力しようとしない無気力さとひとつでも世の中や他人のために、できることをしようとしない行動力のなさを何かにすり替えていては、自分すらも、自分の身近な人すらも、恋する人も、愛する人も、大事にしたいだれかも、守ることはできない。

どうせ、私なんて。私ひとりがどうしたからって。私、バカだから。そんな気持ちになることがない人生なんて、おそらく、ひとつもないだろう。そう思わせる困難や壁は誰にもある。

だが、それでも自分を奮い立たせ、跳ね返されても、もっといい世の中、もっとすてきな社会や国、そこに生きる、自分の大事な、大切な人の笑顔を見ることの方が、どれほど、自分も幸せだろうと私は思う。

本当の豊かさ、幸せというのは、そこから始まるような気がしている。だから、答えはひとつ、あきらめない、It's never too late.なのだ。時間がどんなにかかっても、どんなに道は遠くても、歩むべき道を歩み続けることでしか、自分の望む世の中にはなりはしない。

ミャンマーの総選挙で、30年近く続いた軍事政権が終わった。アウンサンスーチーひとりの力ではない。彼女の言葉、行動、ふるまいから、多くの国民、市民が自分たちの力を信じてきた積み重ねの力だ。

おそらく、新政権の行く道は、簡単ではない。そして、自己否定と自己不信の人たちは、自分がそうだからと、なにか失敗や混乱があれば、やっぱりな…とあきらめの言葉や批判を投げかけるだろう。

母の病気の看病で帰省し、目の当たりにした学生の死。人々の人権や生活権が守られない、国家主義の姿。圧政を前に、彼女は、イギリスに夫や子どもを残して、母国のために闘った。

おそらくそのときも、明確に闘いの意志や理論があったわけではない。そして、いまも迷いや不安の中だろう。だが、それでも、前へ歩むしかない。どのような批判や失敗、挫折があろうとも、同じ志と誇りを守るために、挑戦を続けるしかないのだ。

それは市民が市民の力を信じ、誇りや矜持を示す時代の、幾度もある夜明けの、そのまたひとつであるめに。

大勝や完勝はない。人は負けながら、でも、少しずつ勝っていくのだ。その長い積み重ねの向こうに、本当の市民社会の時代がある。