秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

言葉の力 見えない力

人は自分の思いや感情をそのまま言葉にすることはなかなかできない。
 
だが、その言葉になかなかできないところに、じつは、人の真実や世の中のホントがあるのだ。
 
政治の言葉に説得力がなのも、映画やテレビ、演劇の言葉に力がないのも、言葉にできないところにあるものを描いていない、そこに届いていないからだ。
 
簡単にいえば、ウソだ…という前提条件が人々に自明になっている。
 
政治が劇場型、パーフォーマンスになってから久しい。底割れした、見え透いた演出で、人心をコントロールしようと心情に訴え、あるいは、人々の不満をぶつける対象を見つけ出して誘導する。情報の書き換えや操作によって、あおり、かつ、隠ぺいする。
 
あるいは、今般の憲法解釈変更の世論調査の新聞各社のように、サンケイ、読売がまるで政権の御用新聞のように、都合のいいデータをまき散らす。朝日、毎日がこれに対抗するようなデータを発表する。世論調査など、その設問設定でいかようにもデータを変えることができる。
 
見え透いたそれらを見え透いていると見抜くのはそう難しいことではない。だが、なぜか、この国の人々、いや世界の人々の一部には、考えられないほど、リテラシー低い人たちがいる。
 
そうしたリテラシーの低い人々が政権を握ると、今般のようなウクライナ自治権をめぐる騒動が生まれ、ウイグルでのテロが起きる。
 
遡って考えれば、わかることで、おバカ息子ブッシュイスラエル重視の政策に転換して、9.11を招き、かつ、アフガン、イラクに侵攻したことで、テロは安全保障対策のトップに踊り出てしまった。
 
そこで、また翻って、この国をみれば、まったく同じことを、やはり、リテラシーの低い政権や政治家たちがおっぱじめようとしている。

私にいわせれば、呉越同舟。似た者同士が似た者同士で、市民には届かない言葉をもてあそんで、それらしいゴタクを並べながら、市民の命を危機へと導いているだけのことだ。

言葉にし、言葉をあやつり、言葉によってしか、政治を示せない。あるいは、心情や浪花節でしか、説得できない。いずれも、言葉への挑戦がないからだ。言葉にならないものをどう形にして伝えるかの知恵と努力を知らないからだ。

人を深く愛するとき、人は言葉でそれが伝えられるものだろうか。だれかをいとおしいと思うとき、思わず強く抱きしめるそこに、言葉はない。なくても、その思いは伝わっている。
 
それを抱えて、たどたどしくも、大切な言葉を語る。そこに、言葉のホントの力が生まれるのだ。見えない力が生まれるのだ。

      
大洋薬品 「人がすこやかであるために・親子」篇 (60秒)