秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

風車に突き進む

たとえば、私がいわきを中心に、福島の抱えた課題や問題に取り組もうと思わせ、それをいまも続けていられるのは、物凄い社会的使命や大義名分があったからではない。
 
もちろん。被災の現実や福島が抱えた他の被災とはまったく異なる原発事故は、私を強く奮い立たせた。だが、それは、政治や対権力といった理論や理屈で始まったのではない。
 
人だ。
 
いままで震災と原発事故がなければ、出会わなかったであろう人たちと出会い、その人たちが抱えている現実や不安、悲しみ…といったものにふれ、それでもいまを生きよう、明日を生きようとする姿や表情、言葉に強く揺さぶられたからだ。
 
そして、その強く揺さぶられた思いの基本にあったのは、いとおしさだった。同じ、この時代、このときに、生まれた場所や生活の場は違っていても、等しく感じる、いまあることのいとおしさであり、こうした困難がなれば、結びえなかったであろう出会いへのいとおしさだ。
 
私が福島へ度々いくのは、自分たちNPOの活動を推進するためではあるが、そこへ行きたいと思わせる動因は、その人たちに会いたいからだ。

自分の故郷である福岡へはほとんど帰ろうともしていないのに、血のつながりも土地のつながりも、それゆえの深いつながりもない福島へ、それだけの理由で私は頻繁にいっている。

地域と人をつなぐのに必要なのは、そして確かなのは、じつは、こうした関係だと私は確信している。人を通して地域とつながる。それはいずれ、その人の地域と地域のつながりへと拡大できる。

要は、会いたいと思うか思わないか。それだけのことでしかない。会って、同じ時間をわずかでも共に過ごしたい。そう望むか望まないかのことでしかない。
 
会うことができず、共に過ごす時間が持てなければ、メールやメッセンジャー、あるいは電話や手紙で通信し合うかどうか。それだけのことでしかない。

そこには気遣いも生れれば、他人のことなのに、我がことのようにそれを喜べる心を育てる。なにかあれば、家族のように心配し、励まし、なにもできない自分を申しわけなく思う。

その積み重ねが、そこにある距離や空間といった時間を越える…私はそう信じている。そして、そこにこそ、次へのための新生のアイディアが生まれ、地域から外へ開いていくと考えている。

深く人と人がかかわることが難しい時代に、そうあることがいろいろな手間や面倒や暑苦しさを感じさせる時代に…それでも、私は、それを取り戻す方向へ動こうと思う。あるべき人のつながり方を復権させたいと考えている。
 
それが、本来、私たちの生活の基盤にあった、日常だからだ。それを見失っているぞ。そう人々に教えてくれたのが、東日本大震災だったからだ。

礼節や配慮、思いやり、気配り、気遣い、気働き…そんなものがなくなっているこの国で、ドンキホーテは、今夜も風車に向って突き進む。道理のとおる、あるべき姿へ。
そうすれば、傷つき、悲しみ、怯え、震える人は、もっと少なくできる…はずだ。