秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

I have a dream

明日は、50年前、公民権運動の象徴的運動となった、「ワシントン大行進」の日。
 
リンカーンによって拓かれた奴隷解放奴隷制の廃止と黒人男性の政治参加を認めたに過ぎず、黒人の人権、生活権は依然、認められてはいなかった。その功績は大きいが、当時のアメリカ社会では、そこまでが精一杯の現実があった。

1865年の南北戦争から、ほぼ100年後の1963年8月28日。

白人優先主義、優位主義の偏狭な人種差別、隔離主義からのさらなる解放をめざし、あらゆる人間に認められる社会参加の自由、社会資源の平等な享受、そして、婚姻を始め、あらゆる生活権の自由と保障。それを求めた、公民権運動が世界に広がる契機となった。

その先頭にいたのが、マーティン・ルーサー・キングJr。キング牧師。彼は、非暴力による大衆運動をよびかけ、ワシントン大行進を実現した。
 
アメリカ各地、とりわけ、差別のひどかったミシシッピー、ジョージアから専用バスや専用列車でワシントンを目指した。途中、白人至上主義者の一般市民や警察組織からの暴力、威圧、妨害、迫害を受けながら、20万人以上が結集。
 
ハリウッドのスターや歌手、音楽家もその趣旨に賛同し、多数参加した。PPM(ピーター・ポール&マリー)、ボブ・ディラン、ピート・シガー、ジョン・ヴァイス、マーロン・ブランドポール・ニューマンシドニー・ポアチエ…。

ワシントンDCに集結した20万人以上の参加者の前で、キング牧師が行った演説“I have a dream”は歴史に残る名演説となった。

非暴力の市民運動が勝利を勝ち得た稀有な例だ。その後、公民権運動を支持したケネディが暗殺された後、ジョンソンが大統領になって、1964年公民権法は法制化され、黒人及び他人種、民族の権利も保障される。
 
だが、キング牧師は、1968年、白人至上主義者によって、暗殺される。公民権法の制定後も白人至上主義者の弾圧は続き、初期のマルコムXに見られるように、これに対抗する黒人やこれを支持する白人による暴力闘争は激化した。

もちろん、いま現在も白人至上主義者や排斥主義者による人種差別に基づく暴力や事件は続いている。

白人の黒人及び黒人社会に対する不安、コンプレックスは根深く、また、社会的に生活保障が得られない黒人社会や他の人種の貧困とそれが生み出す不満と暴力は、法制度の整備だけで片付くものではない。

だが、国家の基準をどこに置くかにおいて、アメリカは、合衆国憲法と修正条項において、これを明確にしている。

ひるがえって、この国において、果たして、私たちの公民権は守られているのだろうか。公民権とは、経済的に安定した人々、富を享受できる人々のためだけにあるのではない。経済的に劣勢にある人々、富をえられない人々、あるいは社会に様々な事情で参加できない人々にも等しくあるのだ。
 
そこに自己責任や本人の意欲とかいった精神性は関係ない。問題は、その地域、社会に存在するすべての人々が生きるための権利として生まれたときから保障されている基本的な権利だ。
 
人は常に健康であるわけでも、常に安定した生活が得られるわけでも、守られるわけでもない。自分の努力や意志ではどうにもならない現実に直面することも、生まれた家庭そのものにそれらを満たすものが与えられていない場合もある。
 
生きるための努力、前へ進む意欲はあった方がいい。だが、それができなくなるほどの現実に直面することがある。それを他人の尺度や成功者の物差しで判断するのではなく、法の下において、保障することに意義と意味、そして価値があるのだ。

いまこの国は、財政赤字を理由に社会保障制度を切り詰め、骨抜きにし、自己責任という法の理念ではない、感情論によって、あたかも正義のなぎなたを振るようなことが平気で行われている。

子どもの貧困、若年世代や母子家庭、女性単身者、高齢単身者の貧困は増大し、自死者の数は先進国トップをいく。
 
そして、書店には朝鮮、韓国、中国の近隣国家への差別本が並び、学歴や教養ある市民層までもが、ヘイトスピーチを語り、恥じることを知らない。

公民権、人権とは、自分の人権を守ることからは出発しない。他者の人権を守るというところにしか、公民権、人権への理解は生まれないのだ。
 
私がいま福島にこだわり、福島の市井の人々の生活や声を微力ながら伝えたいと願うのは、そこに守られるべき人権があるからだ。
 
だが、人権はきれいごとでは片付かない。福島においてさえ、福島県人同士の足のひっぱりあい、地域格差や認識の違いによる差別や偏見、対立はある。

だが、その現実を仕方ないと投げ出すのではなく、キング牧師が理想としてたからかに掲げたように、私たちは、それら確執や恩讐、差別や偏見、妬みや嫉み、足の引っ張り合い、利権の奪い合いといった現実の先にある、夢を持たなくてはいけない。

それを強く信じる人たちの力が、すべての人々にとってよりよき地域、社会、国がどうあるべきなのか、どうその道を歩むべきかを広げていく。