秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

契約の崩壊

スコットランドグレートブリテン(連邦)からの独立が世界の関心を呼んでいる。
 
アイルランドスコットランドは、本来、自治国ではなく、独立国家。イングランドの歴史的台頭によって、ある意味、属国化された国々だ。その歴史はイングランドに蹂躙され、時として隷従させられてきた。
 
いま、改めて独立を主張しているのではなく、イングランドの支配が及ぶまで、本来、自治権と主権は各国にあったのだ。

ウクライナのロシアからの完全独立とそれに反対する親ロシア派との紛争。イラクにおけるイスラム国のアメリカ、及び現政権との対立と紛争。ジャスミン革命から起きた、北アフリカの不安定化、それによるシリアの内紛…

いま世界各地で、王権時代から奪われていた、自治権の回復、市民権の奪還のせめぎ合いが起きている。

かつて王政や強大な権力を持つ治世者によって支配されていた国や民族、市民が自らの手に自治権や主権を回復しよとする取り組み。その大半は権利の争奪という形で紛争や内戦を導いてきた。

単に主権を奪還するだけに終わらず、その後、奪還した主権をだれが、どの勢力が握るかで、さらに紛糾する。それはいま、シリアやイラクの情勢を見てもわかるだろう。

今回は民主的に国民投票によって雌雄を決するが、いずれにしても、こうした動きがこの数年、急速に、しかも、人々の予想を超えて出現しているのはなぜなのか。

おバカな国粋主義者やエセ愛国主義者は、民族主義からそれを理解する目しか持たない。
 
だが、現実は違う。民族自決などという古めかしい概念ではなく、既成の統治システムや国家意識の形成がすでに限界にきているからなのだ。

私がいつもいっているように、社会や国家という概念の形成、合意は、幻想の共有であり、幻想を幻想としないための法と制度の共有と契約なのだ。

法や制度、契約が人々にとって利するところがなく、脆弱なものに見えるようなると、成立していた共同幻想そのものが崩壊する。

しかも、かつてのように、経済さえ安定すれば幻想が維持できる時代ではなくなっている。経済の安定よりも、人々や生活者は、既成の古びた権威主義的なものより、より信じうる新たな幻想を求めている。

なぜなら、これまでの制度と契約の中でも、経済は必ずしも豊かにならず、かつ、それに代わる、あるいは埋める生活の喜びや希望、期待が与えられないからだ。

であれば、いまの国家的枠組みから自由になる道を選びたい。たとえ、それによって経済的な不安定や物理的不具合が生まれたとしても、自らの意志と決断によって、自らの道を選択し、歩むことができる。

その険しい道の方がはるかに、現状より、未来を信じうると判断するからだ。

私は、もう30年以上前から、沖縄の日本からの独立をいってきた。ただいってきたのではなく、沖縄県政にかかわる人々にも語ってきた。
 
福島、東北においても、歴史的には幾度となく、治世者と対峙し、独自の選択を歩もうとした。戊辰戦争しかり、自由民権運動しかり、民定憲法草案しかり。
 
この国は、いま地方再生のための省庁がつくられ、地方再生を国主導でやろうとしている。それを喜ぶ地域、地方自治体も少なくはないだろう。
 
だが、本来は、地域、地方が主導で地域、地方の再生に取り組む権利と義務がある。国の都合によって、税の配分をする現行の枠組みの中で、地域の再生や地方自治の確立などあるわけながない。
 
中央集権の現行の制度は、ある意味、幕藩体制時代の藩政の力を中央が奪ったものだ。その結果、現在のような地方の疲弊と中央省庁へのお宮参りのようなことが当然の制度を生み出した。
 
いい加減、このお上に頼る、いじけた地方、地域の体質を改めなけば、地方ばかりでなく、国の再生もおぼつなかい。
 
眼の前に差し出された、補助金助成金にすがっていは、いつまでたっても、国のご都合主義で地方、地域は振り回されるだけだ。

そして、なによりも、自分たちの誇りと尊厳を奪われ、そこに生きることへの希望や夢が奪われる。それは若い世代にますます、こんなとこ、いてもしかたねぇと見捨てられる町や村を増やしていくだけのことだ。