秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

挑戦の姿

福島にとって、いま一番必要なことは何なのだろう…。そして、福島の5年先、10年先、50年先のために、何が求められているのだろう…。

私は、震災直後からずっとそれを考え続け、いまも考え続けている。

そして、そのとき、そのとき、出会った人の言葉や面差し、面影から、その答えを探し続け、いまも探し続けている。

それは、同時に、この国の地方、地域にとって、いま一番必要なこと、そして、地方、地域の5年先、10年先、50年先に求められることを考え続ける旅なのだ…私はそう考えてきたし、いまもそう思っている。

高齢化、過疎化、若年層の減少、地域の崩壊…。そして、地域からの地域らしさの喪失、地域ならではの祭事や文化の消滅…。均一化した都市的なるものによって、失われていく地域性、地域色…。

その再生や新生なくして、地域産品や地域観光の魅力の回復、創造などありえない。

にもかかわらず、月並みで、都市的な産品を生み出せば、道が拓ける。都市生活者が喜ぶおもてなしを尽くせば、人は来訪する…そればかりを福島に限らず、あらゆる地域が考えている。

主人公は都市ではない。主人公はあくまで、自分たち、地方の人間なのだ。地産地消の取り組みもなく、やみくもに、あたら都市消費にばかりに頼る地方人の依存心がそうさせる。

地面にしっかり足を置き、根性が座っていれば、それだけで魅力ある地方の姿を示すことができる。都市に迎合せず、本当にこれはいい、ここはいい、この人はいいと感動させることができるのは、都市にないものを持っていることの誇りであり、そうした、モノ、ヒト、トキなのだ。

もう4年も福島を襲っている風評被害は、鳥インフルエンザやO157といった類とは決定的に違う。なにかを取り除けば収束するものではなく、ある時期を過ぎればそれで終わるというものでもない。にぎわいだけで、元気さだけで、排除できるものでもない。

だからこそ、衰退する多くの地域でやられているような、どこにでもあるような、どこかで聞いたような、大手代理店やエージェントに下駄を投げるだけのありがちな販促キャンペーンなどで対応できるものではないと私は思っている。

それは都市への迎合と依存でしかないからだ。主人公が、本当の主人公がそこにいないからだ。

もちろん、予算に物を言わせてやる、そうしたものも必要だろう。

だが、もっと現実的に、首都圏、とりわけ東京の人々の中から、福島のあらゆる現状を知りながら、それでも福島を生かし、それをわが地域、わが町の知恵として生かそうという人を掘り起していかなくてはいけない。

でなければ、その壁は本当には突破できないと思っている。無駄に、国民の血税が大して効果も期待できない、形ばかりの取り組みに使い果たされる…。それでは何も変わらない。何も生まれない。

昨日、県の風評対策の委託事業の説明会に顔を出してきた。昨年、相当の予算をつぎ込まれた事業は縮小されていた。昨年度事業の中には、私の知り合いの団体もいくつか入っている。

失礼は承知だが、私たちMOVEは、すでに震災その年から、それら以上の取り組みを展開している。しかも、東京での発信、東京からの宿泊学習型の動員も行っている。その規模と内容からしても、明らかにどれよりも現実的で、多くの人の記憶に残像を残していると思う。

私たちの活動が一番いいといっているのではない。それぞれに、それぞれの取り組みがあっていいだろう。だが、冒頭にいったように、東京の中の確かな人たちをしっかりネットワークし、継続的な支持者、共感者とする取り組みでなければ、本当の意味で風評など突破できない。

そもそも突破などないのだ。大事なのは、風穴を開けることなのだ。ひとつ、風穴をあけることで、それはじわりとだが広がっていく。

不特定多数のだれかより、大量消費の窓口より、確実な市民ひとりの共感だ。それがまたひとり、またひとりと広がり、いつか大きな力になる。その力は、突破できなかった大量消費の窓口を揺るがす。

厳しいが、その道しか、次へつながる確かで、無駄のない取り組みはない。福島はいいよではない。福島はおいしいよでも、安全だよでもない。そんなもので、人の心は動かない。

苦難の末に、それでもそこにある、確かに歩くその姿と、そこにある誇りと矜持を堂々と、ためらうことなく示しすことだ。地域がかかえる課題、地域ならでのはのモノ、ヒト、トキにこだわり、それが福島だけのものではなく、あなたの、あなたの地域の、そして、この国の共に挑まなければならない挑戦の姿なのだと訴えることだ。

夢中ではなく、それすらも楽しみながら。