秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

物事の軽重

物事の軽重がわからない人が増えた。

なにが大事で、なにを優先しなくてはいけないのか。なににこだわり、なにを果たさなくてはいけないのか。

使命や志といったものが、生活の軸にないために、物事の軽重は軽ばかりになっている。

世の大事が見えないのもそのためだろう。

安保法制にせよ、辺野古にせよ、沖縄の基地問題にせよ、そして、福島の原発事故やその後の被害と課題にせよ。多くの人に、その現実は見えていない。

マスコミから流れる情報やSNSで伝え聞く情報だけで、自らの体を動かし、その眼で確かめ、重い課題にも、あるいは、それはそれとして、軽い課題や情報にもふれ、そこにある軽重を自ら計れない。つまりは、底の浅い洞察しかできない。

だが、それが普通の人たちの普通の感覚なのかもしれない。志や使命は、それを本気で果たそうと考えるものにしか、実感できない。そして、そのためには、日常の些末さや矮小さは置き去りにする狂気も必要だ。

志や使命には同感できても、自分の居心地よさをこわしてまで、狂気染みたそこに身を置き、なにが大事かを考え、行動することはできない。軽い洞察の中にいる人ばかりだから、ちょっと洞察を働かせるだけで、満足できる。

そして、世の大事と物事の軽重は疎んじられる。本当の意味での純情は汚されていく…。

愚かな国の愚かな日々はいつまで続くのだろう。変える力は、私の、あなたの学びにしかない。