秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そこにかかっている

今日、よみうりホールで開催された東日本大震災復興フォーラム。基調講演と村尾キャスターがアンカーを勤めるシンポジウムとの二部構成だった。

多くを期待はしていなかったが、明らかに、地域広域行政を含め、4年が経過する中で、なにに目を向け、なにを目指していかなければならないのか。

単に、地域に観光客を呼ぶ、風評に煽られ続けている地域の物産をどう都市消費者に届けるか…にぎわいや勢いをつくりあげるだけでは、それが容易に達成されるものではないこと…その自覚を感じた。

JAICAの理事の方から、部下の中国人職員が被災地の農水産物の海外販路を拓きならが、週末土日に毎週、福島の海岸線の復旧作業に、職員のだれにも告げず通い続けていたという話があった。

現地に取材調査に理事がいったとき、JAICAの中国人職員が毎週支援にきてくれていると人から聞いて、わかったのだ。

それまで風評で、産品を受け入れなかった海外の人々を必死で説得して回った、東南アジアの現地職員は、福島出身の職員だったという。寝る間も惜しんで、海外のバイヤーをかたっぱしから回って頭を下げ続けた…。そして、輸入制限を解除させた。

彼らはその名がマスコミで取り上げられることも、なにかの表彰を受けることも、人々に広く知られることもないだろう。そんなことのために、それだけの労苦を生きられはしない。

そんな外国人や海外で少しでもふるさとのためにと闘っている人たちがいる。国内において、それだけの情熱で、原発事故と風評に立ち向かい、利他のためだけに身を粉にすることのできる人がどのくらいいるのだろう…

シンポの中では、すでにMOVEが紹介している農生産者のように、放射能汚染検査の実態とデータのより詳細な調査結果と正確さを広めるべきだというコメントがあった。

すでにMOVEがネットで取り組んでいるように、消費者と福島、東北の農水産者が直接つながる場が必要と説く人もいた。

すでにMOVEが取り組んでいるように、物見遊山ではなく、福島のいま、刻々と変わるその姿とそこにある苦闘と成果を学ぶツアーを実施していると胸を張る人もいた…。

それぞれの取り組みの中で、それぞれが、被災地福島を支援し、同時に、自分たちの課題ともしていく道のあるべき方向性と姿に気づいている。

だが、それを本当に実現し、子どもたち、次の世代に恥じない地域の大人、地域を支援する大人であるためには…

名を知られることもない、JAICAの職員たちのように、地域のために取り組めるかどうか…。彼らのように、次の時代に必要ないまやらなければいけない、大切なことから逃げないでいられるかどうか。

そこにかかってる。

JAICA理事のその話は、「だから、東京のみなさんに福島に来て、見ていただきたい。そこで暮らし、生き、困難があっても、生活再建に生きている人とふれあってもらいたい」。その言葉で終わった。

会場が水を打ったようになった。

おそらく、私が実施している福島応援学習バスツアーに参加している人々も、その名も、顔も覚えてもらえてないかもしれない。ひとりひとり、どのような思いで参加し、ある人はそっと取り寄せをし、あるいは今度は仲間と小グループで福島へ再訪していることなど、だれも知らないだろう。

だが、これから福島を本当に支えるのは、そうした人々に広く知られることもない、そういう人たちの力だ。私はそう確信している。

ただ、物が売れればいいのではない。ただ、観光客がくればそれでいいのではない。

福島の抱えた痛みを自分たちの地域の痛み、日本の地域が抱える共通の課題として、福島をとらえられる人たちの広がりが必要なのだ。

この国の明日も、そこにかかっている。