秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

気象と尊厳

気象は、重要なマーケティングアイテムだ。ということを知っている人はいまは少なくない。
 
先物取引市場においては、当然ながら、気象情報は大金を出してもえたい情報であり、それによって市場の損益も左右される。
 
しかし、その気象情報もいまでは、長期予想が難しくなり、かつ、これまでの常識の範囲を越えてしまっている。

結果、アメリカを初め、情報を安全保障の要としている国では、膨大なコストと人材を投入し、民間を巻き込んで、国家事業としてこれに取り組んでいる。

 
資源が乏しく、食料自給率が先進諸国でも最低水準のこの国は、しかし、この危機感がまったくといっていいほどない。

すでに4月~6月短観の経済指数GDPが下方修正され、次に発表される7月~9月短観は広島の土石流災害やゲリラ豪雨被害で惨憺たるものになる。

それでも消費税10%は国際公約だからと強引に実施する。国会改革や議員定数の変更、血税である政党助成金の問題は棚上げにして、財界からの援助ももろ手を挙げていただきます…

もともと、気象変化やそれによる災害など念頭にない。まして、原発再稼働にこうした気象変化や予測を越えた災害の発生など計算に入れていない。入れないようにしている。経産省を始め、財界が後押しするからだ。既得権。

そのような政治体質、官僚気質、治世の非常識を常識とした人々にとって、気象情報とその変化の関心は薄くなる。
 
だが、そこで生活を奪われる、困難や困窮を引き受けるのは民衆であり、国民なのだ。

税金を湯水のように使い、既得権益を持ち、一部富める者だけのためにしか機能しない危機管理。それは、結果的に、その血税を必死でねん出している市民生活を追い込み、結果的に、国の財産をくいつぶしていくだけでしかない。

うちのような零細な会社でも、どこかで大規模被害が起きれば、途端に、自主制作のDVDの売り上げが止まる。気象と無縁ではなく、予測できない気象に対応できるシステムや体制があることが、結果的に、税金を支払っていく上でも重要なのだ。

いまや気象に象徴されるように、ひとつの事件、事故、災害が他の人々にとって無縁であることはなくなっている。

東日本大震災のとき、いかに東京が東北に依存し、東北の一次産業、二次産業なくして成立できない都市であるかを痛感した。

ところが、そこがだめならと東京の発注会社では、他の地方にその受注先をまたぞろ変えたところが多い。まったなしの消費がある以上、やむえないところだが、では次にそこが天変地異で損失したらどうするのだろう。

市場分析や市場ニーズの把握とは、人心の奥にあるものを知ることだ。表層ではなく、地域や社会、場合によって国、世界の中で、どう人々を幸せに導くかが先頭になくてはならないと私は思う。

自分たちだけがよければ、それで済む規模では、もはや私たちの地域、社会、国、世界はなくなった。
 
気象のことを通して、国を、世界を、そして地球を考える。そこに生きるひとりひとりを考える。尊厳とは、そうしたところにあるのだ。