秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

進むべき航路

身近にある、慣れ親しんだものが終わる、あるいは変わっていくのは寂しいものだ。

だが、寂しいからといって、それを持続させるための努力や協力、サポートができていたのか。あるいは、持続させるために、なにかをしたのか。そう問われて、そうだと答えられる人はそういない。

物事は常に変化し、永遠にそこにとどまるものは、宇宙の真理をのぞいて、ひとつとしてない。
 
だが、現世利益ばかり追う人は、その変化を受け入れることができない。もちろん、貪欲になれるがゆえに、その変化に敏感に対応する人もいる。
 
だが、3年や5年、10年や20年というサイクルではなく、50年、100年…あるいは、もっとそれ以上のサイクルで見てみれば、変化に敏感に対応して、小賢しく、その場、その時だけの利益を得ようとしている人の姿は、一層、憐れを呼ぶ。
 
現世利益ではなく、なにかの代償や報いを期待するのでもなく、変化にあっても、その変化を見守り、いつでも手が伸ばせるところで、だが、決して、安易に手を差し伸べす、安心を与えられる存在として、そこにあることが大事なのだ。

最初にいったように、変化に対して、なにかができるわけではない。変化を押しとどめるために大きなエネルギーを費やせるわけでもない。変化はそれぞれに起き、それぞれがその変化を生き抜くしかない。

できることといったら、変化の中にあって、決して、変化の渦中にあるもの、人を忘れてはいない。その信号を人知れず発信し続けることだ。
 
灯台のように、ただそこにいる。自らの変化もある中で、それを継続し続ける。そこにこそ、意味があり、それが変化を共に生きるということだ。

いまこの国は大きな変化を自ら選択しようとしている。恣意的に、意図的に、何事かを変える。ときとして、それは大事なことだ。だが、その変える先が、人々から、あるいは世界から、暗闇の海路にともる灯台のように、見守られるものとはとても思えない。

暗闇にあっても、一条の光を人々の、世界の水先案内人のように灯しつづける。その孤高の美しさと尊さは、変化していいものではない。なぜながら、それは変わらない宇宙の真理のように、人類の目指すべき、究極の理想。暗闇の中で羅針盤が示す、進むべき航路だからだ。