秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい次への道

世界に通用するというのはどういうことなのか。
 
この国の人々はそれをほぼすべて<経済ブランドにおいて>と解釈してきた。あるいは、<軍事力>においてと解釈してきた。

そして、戦後は、この経済と軍事の延長に日米安保条約が生まれ、原発が生まれた。その選択を牽引し、誘導したのはアメリカだ。そして、これを積極的に受け入れてきたのが自民党政治だ。
 
当然ながら、そこにあるのは、経済と軍事において世界に通用するという意味は、アメリカの政治経済及び軍事、もっといえば、アメリカの安全保障政策に準じるということだ。
 
無知な人は、安全保障というと軍事のことだけだと勘違いしている人がいるが、いうまでもなく、そこには、食料・エネルギー・資源(水・海洋・鉱物等)・金融・医療(とりわけ、遺伝子に関連する先進医療)・ITなども含まれる。

いま、アメリカがTTPに強くこだわっているのは、このアメリカの安全保障政策の一環だからであって、当然ながら、アジア太平洋諸国をアメリカの安全保障政策の傘下とすることが第一義の目的であることはいうまでもない。

これに呼応する形で、いまこの国は、閣議決定という憲法そのものの規定に反する形で、憲法解釈の変更を急ごうとしている。

これもあえていうまでもないことだが、憲法は国民の意志の総意によってその内容が決定されるものであり、政治家主導でその解釈を変更できるものではない。
 
これ、近代憲法の基本中の基本。いろはだ。安部政権の閣議決定は、明らかに憲法違反。国会へ発議し、国会での議論、十分な国民的議論の結果として解釈変更はなくてはならない。
 
だが、安部政権に限らず、時代錯誤の戦前懐古主義おやじ集団日本維新の会にせよ、自民党タカ派の分派に過ぎないみんなの党にせよ、脆弱な民主党内においても、依然として戦前的な超保守主義者はいる。
 
当然ながら、世界に通用するという価値の基準を経済と軍事でしかとらえられない、視野のない、普遍的学問のない、無知な人々だ。

人類という視野、地球市民という視野。欧米だけではなく、あるいは開発途上国の経済において台頭した国々ではなく、アフリカや中東、アジアの片隅、南西諸島に生きる人々を含めた人類、地球という視野がない人々だ。

もっといえば、欧米を含め、地球のいたるところで、市民意識の醸成と変化があることの見えてない人々だ。

私たちが知る世界はごく稀少で狭い情報の中でしかない。だからこそ、その狭い世界を世界とせず、狭窄しないために、普遍性とはなにかを問わなくてはいけない。
 
普遍性を問うことは、結果的に、世界に通用するとはどういうことなのかを経済や軍事というこれまでの発想とは異なる視点から見つめ直すことができるからだ。

普遍性とは理想といいかえてもいい。そして、それを生み出すのは、想像力だ。すべての新しい次への道は、想像力からしか生まれて来ない。

そのためには、これまで経済と軍事さえあれば、世界に通用するといった根本から自由になるしかない。それがなければ、理想を描くことも、その実現のために歩む、幸せ=誇りも味わえない。