秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

その一点

自分がなにかでありたい欲求。それとはできるだけ早い時期に出会い、かつ、だれかにいわれたからではなく、自ら学習を積むということが必要だ。
 
同時に、その学習の実践の場に自ら身を置くということも大事だ。
 
そして、ある水準まで自分がたどりつくまで、学習と実践の繰り返しをやめないという意志と決意もいる。
 
若いうちからそうしたものと出会い、続けられる人は、なにがしか、自分が求めたものの延長に生活をつくることも、自分の道といえる足跡を残すこともできる。
 
なぜか。それは、自分がしたい欲求に、若いがゆえに、素直であり、実直だから、他の道への惑いが生まれない。まして、自分がしたいというものの実現にまっすぐ向かう実直さがあるから、あれこれ算段して、小賢しい時間を費やさない。
 
だが、すべての人が若くしてそれに出会い、かつ、迷わず、ひとつの道を進む克己心や精進ができるわけではない。
 
したいこととの出会いが遅い人やこれまでの道のりに疲れてしまった人の中には、近道のようにみえて、実は程遠いことを愚かな算段と小賢しさでやってしまう。
また、そうしたときに、決まって魔が差すように、こっちの方が近道だよ、これをやってれば求めているものに近づけるよと、本来、自分が費やさなければいけない時間や歩まなければいけない実直さを見失わせる声が耳もとでささやく。

それを積極的に打算で始める人もいるだろう。そのささやきに何も考えず、呑み込まれる人もいるだろう。
 
そしたことも無駄にはならない。だが、大方そういう人で自分のありたいこと、したいことの実現までだどりつけた人は見たことがない。仮に、だどりつけたとして、ほぼ一瞬にして終り、続けられる人は皆無といっていい。

東宝演劇に席を置き、同時に制作会社の企画制作室長をやり始めた頃から、いろいろな芸能事務所から声をかけられてワークショップをやるようになった。その後、映画をやるようになって、自分からプロダクションに声をかけて始めたものもある。
 
おそらく、教えた俳優やアイドル、グラビアアイドルの数は200人を越えている。単発のものもあれば、数年続けたものもある。だが、その中で、現実にテレビ、映画の世界でドラマの俳優として、それなりの役で登場できているのは、現在わずか4名。
 
こちらから高視聴率時代劇のゲスト主役として送り込んだ女優もいるが、いずれも事務所がしっかり芝居のいる仕事をさせようとしていた。
 
グラビア系のアイドルは本人の意志がそこにあっても、一旦それにいくと、ドラマの仕事のオファがこない。ドラマではグラビアは出演実績にならない。身動きができないから、ワークショップで刺激を受けて事務所を変わった子も多い。

一方で、オーディションで採用した俳優は、その後の様子をみていると、CMだの、舞台、ドラマだのに、出演している俳優が多い。これは本人の努力と事務所のがんばりだろうが、だれかが使いたいと思う人はほかでも使いたいと思うのだ。

つまり、算段や小賢しさで自分のしたいことにたどりつこうとするより、そもそもの力と感性を磨き、正当にオーディションを突破できる力を身につければ、先はみえてくるということだ。もちろん、オーディションがすべてではない。
 
しかし、そこから次へいかなくては、本当に自分が手に入れたものにはたどりつけない。まともなオーディションもなく、そうした機会を与える方がおかしいし、それはつくり手の品位を疑われる。
 
当て込みの作品があって、それをつくるためにその人を使うというのもあるだろうが、それはつくる側に相当の厳しさがないと難しい。当て込みができるほど、相手を知っているから、甘やかさずに育てる技量がいるからだ。そうした骨太のつくり手なら軽々に作品に登場させたりはしない。時間をかける。作品を選ぶ。

 
芝居に限らずだが、何事につけ、要領よくやろうという人が増えた。本物を学ぼう、知ろうとする人も減った。そしてまた、そうした明日を急ぐ人を利用する人も増えた。

確かに、チャンスはそうない。それをつかまくてはいけない。だが、中途半端につかんでも、それは身にならないし、続かない。そして、チャンスは二度あるとよくいうが、この世界では、ほぼない。一度のまともなチャンスを逃し、失敗すれば、二度と使われないと考えた方がいい。
 
それは私たち監督も同じだ。

この間、東映のある方と意見交換していて、もはや無視できなくなっているWEB配信のことで盛り上がった。テレビや映画館の姿が5年先には大きく変わる。映像のグローバル化はもっと手軽になる…
 
そうした時代に、乱立するコンテンツや作品の中で、やはり、残っていけるのは、きちんとした俳優と制作者がつくるものだけになる。たとえ、それがコメディであろうが、社会派の作品であろうが、その一点だけは変わらない。いや、その一点がますます重要になっていく。

そして、それは単に私たちの狭い業界だけのことではない。個人や組織や集団や…地域や社会や国が、そして、世界が確かな拠り所ある道をじつは探している。

ここには、その手がかりがある。